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Pulling Rank/August 5, 2011, 9:12 AM

Pulling Rank 地位を笠に着る

John Quiggin has some fun with an economist named Stephen Williamson who attacks his work from a position of robust ignorance; Noah Smith has even more fun.
ジョン・クイギンは、スティーブン・ウィリアムソンという名の経済学者が強固な無知の立場から彼の仕事を攻撃してくることをいくらか楽しんでいる。ノア・スミスはもっと楽しんでいる。

I’ll pass the specific arguments by, and note another feature of this “debate” that has struck me a lot during recent economic controversies: the way Williamson tries to settle the argument by pulling rank, portraying Quiggin as some kind of obscure and unqualified guy.
私は具体的な議論をやり過ごして、最近の経済的な論争の中で何度も驚かされてきた、こういった「議論」におけるまた一つの特徴について述べておこう。ウィリアムソンは、クイギンがなにか無名で、不適当な男であるかのように描き、地位を笠に着ることでこの議論を収めようとしている。

It’s funny in this case, because Quiggin is in fact a prominent economist, Williamson not so much. But even if this weren’t true, that’s no way to argue. Which is why it has been so sad to see how common this kind of argument has been in recent years.
この場合には、それは奇妙なことだ。なぜなら、クイギンは実際に著名な経済学者だが、ウィリアムソンはほとんど知られていないから。もし、この事が正しくないとしても、それは議論のやり方ではない。そういうわけで、近年、この手の議論がどれほど一般的になっているかを考えると非常に悲しくなる。

I don’t have time right now to track down all the examples, but if you look at how many freshwater macroeconomists have responded to Keynesian arguments in this crisis, you find over and over again that they resort to assertions of privilege ― basically, I am a famous macroeconomic expert and you aren’t ― rather than really addressing the issues. And this is so ingrained a response, apparently, that they use it in situations where it’s truly ridiculous: Lucas accusing Christy Romer of not understanding basic macro, then demonstrating that he doesn’t understand Ricardian equivalence; Barro belittling the credentials of yours truly, just after forgetting that there was rationing and investment controls during World War II.
今、私は全ての事例を探している時間はないが、この危機の中で、多くの淡水学派のマクロ経済学者がどのようにケインズ的な議論に対応してきたかを見れば、彼らが実際に問題に取りかかるよりもむしろ、何度も何度も特権を主張する―基本的に、私は有名なマクロ経済学の専門家だが、あなたはそうではない―という手段に訴えていることに気づくはずだ。これは非常に深く身に付いた反応であるので、彼らはそれを使うのが明らかに馬鹿げた所でもそうしてしまう。ルーカスは、クリスティー・ローマーが基本的なマクロを理解していないことを非難して、間もなく、彼がリカードの等価性を理解していないことを証明してしまった。バローが私の資格をけなしたのは、彼が第二次世界大戦のころには配給制と投資管理があったことを忘れたすぐ後のことだった。

But in any case, this is never an appropriate way to argue ― least of all at a time like this, when events have strongly suggested that a lot of work in economics these past few decades, very much including the work on which these guys’ reputations are based, was on the wrong track.
いずれの場合でも、これは議論するのにふさわしいやり方ではない―少なくとも、現在のような時代、こういった経済学者の評判の元になった仕事も含む、過去数十年の経済学における数多くの仕事は方針を誤っていたと、現実の出来事が強く示唆するような時には。

Do I do this myself? Probably on occasion, when I don’t catch myself. But I try not to. I would say that commenters who begin with “I can’t believe that a Nobel prize winner doesn’t understand that …” might want to think a bit harder; mostly, though not always, I have actually thought whatever you’re saying through, and the obvious fallacy you think you’ve found, isn’t. But “Me big famous economist, you nobody” is not a valid argument.
私自身もこういったことをしているのだろうか? おそらく、気づかない内にしてしまっているだろう。だが、私はそれをしないようにしている。「ノーベル賞受賞者が…を分からないなんて信じられない」で始まるようなコメントをする人には、常にではないが大抵、もう少ししっかり考えたほうがいいと言っているだろう。私は、実際に、そういった人が何をもとに語っているのか、そして、その人が明らかに間違っていると思っていることは、実際はそうではないということを全て考えている。だが、「俺はビッグで有名な経済学者、お前なんか誰も知らない」は、有効な議論ではない。


翻訳の感想:クルーグマンはマクロ経済学の専門家ではないので、マクロについての言説はそれほど信用するに当たらない、というのは日本でもよくある論法です。
「Noah Smith has even more fun.」の内容は、ジョン・クイギンをウィキペディアで調べたら「オーストラリアで最も多産な経済学者」とか色々出てくるけど、スティーブン・ウィリアムソンで同じように調べたら記事そのものがなかったwとからかってます。
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