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The Doctrine of Immaculate Transfer/January 12, 2011, 2:55 PM

The Doctrine of Immaculate Transfer 無原罪移転理論

Dave Altig at the Atlanta Fed weighs in on Martin Feldstein’s much-quoted paper arguing that the United States and China will soon reduce or eliminate their current account imbalances. I think it’s worth saying a bit more about this, because there’s a common fallacy here ― not one Feldstein has fallen into, but which many others do. And talking about that fallacy is also a way to see why current yuan policy is a problem for the world.
アトランタ連邦準備銀行のデイブ・アルティグが、アメリカと中国の経常収支不均衡はすぐに縮減するか、消滅するという趣旨のマーティン・フェルドシュタインのよく引用される論文について意見を述べている。私はこのことに関して、もう少し語っておく価値があるのではないかと考えている。なぜなら、そこにはよく見られる誤謬があるからだ―フェルドシュタインはそうではないが、他の人はそれに陥っている。この誤謬について語ることは、なぜ、現在の人民元政策が世界的な問題となっているかを見るための一つの手段にもなる。

So, start with the basic accounting rule, which says that a trade deficit means that a country is spending more than it earns. What Feldstein is saying is that with US consumers starting to save more, and possibly with Chinese consumers starting to save less, these underlying imbalances may be en route to dwindling or even disappearing. Not so sure about Chinese saving, but given that premise, OK.
では、基本的な会計ルールから始めよう。それによると、貿易赤字は、一つの国が稼ぐよりも多く支出していることを示している。フェルドシュタインが言っていることは、アメリカがより多く貯蓄をするようになれば、あるいは、中国が貯蓄を減らすようになれば、根底にある不均衡は小さくなっていき、消滅するかもしれないということだ。中国の貯蓄については確信できないが、前提としてはOKだ。

The fallacy comes in when you say, “Well, given that it’s all about spending imbalances, exchange rate policy has nothing to do with it.” This is what John Williamson of the Institute for International Economics once dubbed the Doctrine of Immaculate Transfer. (Uh-oh, Erick Erickson’s gonna come after me …) It’s a popular fallacy, especially at the WSJ, although I’m not sure if it rises to zombie status.
誤謬は、次のような発言として現れる、「支出の不均衡が全てだとするなら、為替レート政策はまったく関係がない」。これは、国際経済学研究所のジョン・ウィリアムソンが、かつて、「無原罪移転理論」と名づけたものである(おっと、エリック・エリクソンに文句を言われそうだ)。私には、それがゾンビの地位にまで昇格するかは分からないのだが、特にウォール・ストリート・ジャーナルでは人気の高い誤謬である。

Anyway, imagine for simplicity that America and China are the only two countries in the world. And imagine that as consumer habits change, American spending falls by $400 billion while Chinese spending rises by $400 billion. Trade imbalance gone, right?
いずれにせよ、世界にはアメリカと中国しか存在しないと単純化して考えてほしい。そして、消費者の慣習が変わって、アメリカの支出が4000億ドル減少して、中国の支出が4000億ドル上昇すると想像してほしい。貿易不均衡は消滅すると言えるだろうか?

No, it’s not that easy. If US residents cut spending by $400 billion, most of that reduction ― say 75 percent ― will come in reduced spending on US-produced goods and services (even that Chinese pair of pajamas you buy at WalMart has a lot of US value-added in distribution and retailing.) So that’s $300 billion in reduced demand for US output. Meanwhile, a much smaller fraction ― say 15 percent ― of that extra Chinese spending will fall on US goods. So we’re talking about, say, a $240 billion net fall in spending on US goods and services; correspondingly, we’re talking about a $240 billion rise in demand for Chinese goods and services.
いや、話はそれほど簡単ではない。もし、アメリカの住民が4000億ドル支出を切り詰めれば、その削減のほとんどは―例えば75%―アメリカが生産している財サービスの支出を削減することになる(あなたがウォルマートで中国製のパジャマを買っていることが、流通と小売において、非常に大きなアメリカの付加価値になっているとしても)。だから、そのことは、アメリカの生産品への需要が3000億ドル減少するということだ。一方、追加で増えた中国の支出の内、より小さい断片―例えば15%―がアメリカの商品に費やされる。そこで、私が現在話している例で言うと、差し引きで見て、アメリカの財サービスへの支出は2400億ドル減少する。同時に今話している例で言うと、中国の財サービスへの需要は2400億ドル増加する。

If that’s the end of the story, then the spending shift produces a depressed economy in America and major inflationary pressures in China.
もし、話がこれで終わりなら、支出のシフトはアメリカ経済を落ち込ませ、中国に大きなインフレ圧力をかけることになる。

What’s needed to make it come out right is something to make both American and Chinese consumers switch some of their spending toward American goods ― something like a rise in the dollar value of the yuan, which makes Chinese goods relatively more expensive. So the redistribution of world spending and exchange rate adjustment are complements, not substitutes.
もっと適切な成果を得るために必要とされるのは、アメリカと中国の消費者が共に、その支出をアメリカの商品に移させるような何かである―人民元のドルに対する価値を上昇させるようなもの、それは中国の商品を比較的にもっと高価にする。そういうわけで、世界の支出の再分配と為替レートの調整は、代替的なものではなく、補完的なものだ。

Now, what matters is the relative price of Chinese and American goods, so there’s another way to get there ― a combination of inflation in China and deflation in America. But that’s unpleasant on both sides.
今、重要なのは、中国とアメリカの商品の相対的な価格である。そして、そこにたどり着くためのもう一つの手段がある―中国のインフレと、アメリカのフレの組み合わせだ。だが、それは両者にとって好ましいものではない。

Worse, what if China tries to head off inflation by raising interest rates while America can’t reduce rates, since it’s already at the zero lower bound? Then the result is contractionary for the world as a whole.
アメリカがすでにゼロ下限金利に直面しているため、金利を下げられない状況の中で、中国がインフレを避けるために金利を上げれば、どんな酷いことになるのか? その結果は、全体としての世界経済の縮小である。

Any resemblance between this story and actual characters is, of course, entirely intentional.
この筋書きと実際の状況が酷似しているのは、もちろん、完全に意図的なものだ。

The point is that Feldstein’s argument, if correct ― I’m not entirely sure about that ― is actually an argument for yuan revaluation, not an argument that it won’t be necessary.
重要なのは、フェルドシュタインの議論は、それが正しいのであれば―私は完全にはそれを確信できないが―人民元の切り上げが不要であるということではなく、それが必要であるという議論である。


翻訳の感想:クルーグマン自身の推奨記事。ここ
Erick Ericksonは、保守派のブロガー。こういう名前の人がやはり存在するんですね。


追記:山形浩生さんのコメントがあります。
・「潔癖な移転の理論」を「無原罪移転理論」に差し替え。
・「おっと、エリック・エリックソンが私に続こうとしている…」を
「おっと、エリック・エリクソンに文句を言われそうだ…」に差し替え。
・「私には、それがゾンビの地位を高めるものであるとは到底思えないのだが」を
「私には、それがゾンビの地位にまで昇格するかは分からないのだが」に差し替え。
・「いや、それは簡単なことではない。」を「いや、話はそれほど簡単ではない。」に差し替え。
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Don’t Cry For Argentina/June 23, 2011, 1:20 PM

Don’t Cry For Argentina アルゼンチンを嘆くことなかれ

OK, I guess I don’t quite see how Argentina’s default, of all examples, can be viewed as a cautionary tale for Greece:
OK、私は、どうやったらよりによってアルゼンチンのデフォルトがギリシアのための教訓として見なされるのか、ちょっと理解できないと思う:

062311krugman3-blog480.jpg
IMF World Economic Outlook database

Argentina suffered terribly from 1998 through 2001, as it tried to be orthodox and do the right thing. After it defaulted at the end of 2001, it went through a brief severe downturn, but soon began a rapid recovery that continued for a long time. Surely the Argentine example suggests that default is a great idea; the case against Greek default must be that this country is different (which, to be fair, is arguable).
アルゼンチンは、1998年から2001年まで正統的であろうとして、また正しいことをしようとしてずっと酷い状況にあった。2001年の終わりにデフォルトした後、アルゼンチンは短期間の厳しい景気後退を経て、すぐに急速な景気回復が始まり、それは長期間続いた。確かに、アルゼンチンの例は、デフォルトがすばらしいアイデアであることを示している。ギリシアのデフォルトに反対するというなら、この国がアルゼンチンとは違っているということでなければならない(公平に言えば、そういう議論はできなくもない)。

I was really struck by the person who said that Argentina is no longer considered a serious country; shouldn’t that be a Serious country? And in Argentina, as elsewhere, being Serious was a disaster.
私は、ある人がアルゼンチンをもはやまともな国とは考えていないと言った時、本当に衝撃を受けた。どうすれば、ある国が「まともな」国でなくなるというのか? そして、アルゼンチンや、その他の地域であれ、「まとも」であるというのは災厄だった。


追記:山形浩生さんのコメントがあります。
・「OK、私は、あらゆる例の中でもアルゼンチンのデフォルトがギリシアのための教訓として見られるとは、まったく考えていなかったと思う」を
「OK、私は、どうやったらあらゆる例の中でもアルゼンチンのデフォルトがギリシアのための教訓として見なされるのか、ちょっと理解できないと思う」に差し替え。
・「それは疑問の余地のあるものだ」を「そういう議論はできなくもない」に差し替え。
・「どうやったらあらゆる例の中でも」を「どうやったらよりによって」に差し替え。

Golden Oldies (Wonkish)/April 11, 2011, 10:39 AM

Golden Oldies (Wonkish) 古き黄金時代(オタク風)

Mark Thoma jokes that “I’ve learned that new economic thinking means reading old books.” And Brad DeLong says that it’s no joke: the macroeconomics of 1936 ― or even of 1873 ― is a much better guide to current events and their policy implications than all the macro theory of the past few decades.
マーク・トーマが、「我々が学びつつあるのが、新しい経済学の考え方とは、古い本を読むことを意味するということだ」とジョークを飛ばしている。ブラッド・デロングが言うように、それはジョークではない。1936年のマクロ経済学―あるいは1873年ですら―は、現在の出来事や政策的意味合いに対して、過去数十年のどんなマクロ理論よりもずっと良い手引きをしてくれる。

All this is very much in line with what I’ve been saying about a Dark Age of macroeconomics. But what happened, really? A few more thoughts.
これらすべてが、私がマクロ経済学の暗黒時代について語ってきたことと線を一にする。だが、実際に何が起こったのか? ちょっと考えてみよう。

Economics is basically about incentives and interaction ― or, as Schelling put it, micromotives and macrobehavior. You try to think about what people will do in certain circumstances, and you try to understand how individual behavior adds up to an overall result.
経済学は基本的には、インセンティブと相互作用についてのものだ―あるいは、シェリングが言うように、ミクロの動機とマクロの行動。人々が、特定の状況下でどう行動するかを考えようとする。そして、個人の行動が合わさって、どのような全体としての結果に至るかを理解しようとする。

What economists have known since Bagehot (with regard to financial markets) and since Keynes (with regard to goods and labor markets) is that under some circumstances seemingly reasonable individual behavior adds up to very unreasonable macro outcomes. Bagehot wrote of panics in which the collective desire to shed risky assets and debt produced a downward spiral; Keynes of situations in which the collective desire to save but not invest led to mass unemployment. And in both cases these arguments suggested a case for government intervention to undo or limit the bad macro consequences of reasonable individual behavior.
バジョット以来(金融市場に関して)そして、ケインズ以来(商品と労働市場に関して)経済学者が知っていることは、ある状況下において、明らかに理性的な個人の行動が、非常に非理性的なマクロでの結果に至ることがあるということだ。バジョットはパニックについて書いたが、その中では、リスクの高い資産や借金を避けようという集合的な願望が、下方向のスパイラルを生み出してしまう。ケインズは、投資ではなく、貯蓄をしようという集合的な願望が、大規模な失業に導くような状況について書いた。どちらの場合にも、こうした議論は理性的な個人の行動から生じる悪いマクロ的な結果を打ち消したり、制限したりするような政府介入を支持する議論を示唆するものだ。

But notice that I’ve framed this in terms of “reasonable” behavior; it’s a lot harder to tell these stories in terms of perfectly rational, maximizing behavior.
でも、いまの話を語るのに、私が「理性的な」行動を元にしたことにご注意を。この話を、完全に合理的な最大化行動に基づいて語るのはずっと難しいのだ。

One response ― a pretty good response ― is, “So?” After all, maximization isn’t a fact about human behavior, it’s a gadget ― an assumption we use to cut through the complexities of psychology and all that, one that can be very useful if it clarifies your thought, but by no means an axiom or a law of nature.
それに対する一つの返事―それも結構いい返事だ―は「それがどうした?」というものだ。なんといっても最大化というのは人間行動についての事実ではない。たんなる小道具だ―心理とかその手のややこしい話を切りぬけるための仮定でしかなく、それも考え方をすっきりさせてくれるならすごく便利なものだけれど、どう見ても公理や自然の法則ではないんだから。

But maximizing models have a special appeal for modern academic economists: they require solving equations! They’re rigorous! They make it easy to show that you’re doing “real research”. And so maximization tends to acquire a bigger importance in economic thought than it deserves.
だが、最大化モデルは現代のアカデミックな経済学者にとって、特別な魅力がある。つまり、それは方程式を解くことを求めている! それは厳格である! それは、あなたが「真の研究」をやっていると示すのを容易にしてくれる。だから、最大化は経済思想の中で、それに値するよりも大きい重要性を獲得する傾向にある。

To be fair, applying maximizing thinking has achieved some major successes even in macroeconomics. The permanent income/life cycle style of consumption theory does a much better job of accounting for the stylized facts about spending than the old, mechanical consumption function. The natural rate hypothesis, with its crucial implication that high inflation would get built into expectations and not reduce unemployment, was the result of (loose) maximizing reasoning.
公平に言えば、最大化思想を適用することは、マクロ経済学ですら、いくらかの主要な成功を達成した。恒常所得/ライフ・サイクル型の消費理論は、古い機械的な消費関数よりも、支出に関しての様式化された事実を説明するのに非常に優れたものだ。自然(失業)率仮説は、その本質的な意味合いは、高いインフレが予想に組み込まれてしまい失業率が下がらなくなるということだが、(ゆるやかな)最大化理論の成果であった。

But from the 1970s onwards, what happened was that the drive to base everything on maximizing behavior narrowed the profession’s thinking ― and, crucially, led first to a de-emphasis, then to a total forgetting, of the great insights about interaction. We created an economics profession which believed that Keynesian economics, and for that matter Bagehotian finance, had been “proved wrong”; whereas all that had really happened was that those things proved hard to model in terms of perfectly rational maximizing agents. Again, so?
だが、1970年代から、全ての基礎を最大化行動に置くように傾斜していき、そのことがプロの経済学者の思考を狭めてしまった―そして、決定的なことに、相互作用についての偉大な洞察が、まずは強調されないようになり、それから完全に忘れ去られてしまった。
我々は、ケインズ派経済学、そしてそれを言うならバジョット流ファイナンスが「間違っていたと証明された」と信じている経済学専門業界を創り出してしまった。でも実際に起こったことといえば、そういうことが完全合理的最大化エージェントを使うとモデル化しずらいことがわかっただけなのだ。繰り返すけど、それがどうした?


And there’s a sense in which even New Keynesian economics was wasted effort, at least from a social point of view, because it was mainly a way of showing New Classical types that we can too ground the concepts we already knew in maximizing models. Actually, I don’t think that’s entirely fair: I find that New Keynesian models, especially on the liquidity trap issue, do deepen my understanding. Still, you can understand why Larry Summers says that none of that stuff proved useful in actual policymaking.
ニュー・ケインジアン経済学ですら、少なくとも社会的な観点からは、無駄な努力ではないかという感覚がある。というのもそれ(ニューケインジアン)は、もっぱらニュークラシカル一派に対し、自分たちもすでに分かっているような概念を最大化モデルで基礎づけることができるんだぞ、と示すものだったからだ。実際問題として、私はそれが完全に公平だとは思わない。ニュー・ケインジアン・モデルは、特に流動性の罠の問題に関して、私の理解を非常に深めてくれた。でも、ラリー・サマーズが、それらの中で現実の政策決定に際して役に立つと認められているものは何もないという理由は分かるだろう。

The point, though, is that something went terribly wrong. Put it this way: if all we had known when this crisis struck was 1950-vintage macroeconomics, we would probably have done a better job of responding.
重要なのは、何かが恐ろしく悪くなっているということだ。こんな風に言うことができる:もし、この危機が起こった時に、我々の知っていることが1950年製のマクロ経済学だけだったならば、おそらくもっと良い対策が取れただろう。


追記:コメント欄にて多くの誤訳を指摘していただいたので、全面的に文章を訂正しました。
山形浩生さんが正しい訳を教示してくれた部分は、その文をほぼそのまま使って変更しています。
詳しいニュアンスも書かれてあるので、ぜひコメント欄もお読みください。

Woodford on Monetary and Fiscal Policy/June 20, 2011, 9:16 AM

Woodford on Monetary and Fiscal Policy 金融及び財政政策に関してのウッドフォード

One question I’ve been asked a lot is why I spent 2009 campaigning for fiscal expansion rather than monetary expansion. Well, at the Keynes conference this morning Mike Woodford gave an overview of policy options when you’re up against the zero lower bound that in some ways expressed better than I’ve managed to what I was thinking at the time.
私がよく尋ねられる質問の一つが、なぜ、2009年に金融政策の拡張よりも財政政策の拡張を推奨していたのかということだ。うん、今朝のケインズ会議において、マイク・ウッドフォードが、ゼロ下限金利に直面している時における、政策の選択肢についての概観図を提示したが、それは、私がその時に考えていたことを、私自身が表現するよりも、ある意味ではもっとよく表現してくれるものだ。

First, Mike argued that monetary expansion once you’re at the ZLB mainly works, if it does, through affecting expectations. If people don’t perceive the expansion as representing a change in policy that will persist even after the economy has recovered, even big changes in the monetary base have hardly any effect. Mike had a chart of Japan 2000-2008 that I’ve crudely reproduced:
まず、いったんほぼゼロ下限金利に直面すると、金融政策は、作用するとしても、期待に影響を与えることを通して作用する。もし、人々がその拡張を、経済が回復した後ですら持続する政策の変化を示すものとして受け取らないなら、たとえ大きなマネタリー・ベースの変化であれ、ほとんど影響を与えることはできない。マイクは2000-2008年における日本についてのチャートを提示しているが、私がそのまま再現する:

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Note both that Japan reversed much of the initial expansion in the monetary base, confirming the expectations of those who might have regarded that expansion as temporary – and Japan did this even though deflation continued! Note also that nominal GDP never moved at all despite the huge amount of money “printed”.
日本は、その初期のマネタリー・ベース拡張のほとんどを逆転させ、その拡張を一時的なものと見做していたであろう人々の予想を確信に変えることになった―そして、日本がそれを行った時には、デフレが続いていた! 巨額の貨幣が「刷られた」にもかかわらず、名目GDPは、まったく動かなかったことも付け加えておく。

So why is a fiscal response any better? Mike argued:
そして、なぜ財政的な対応はもっと良いものになりえるのか? マイクは論じる:

1. A fiscal response to a severe slump doesn’t require committing yourself to changes once the storm has passed; it “only requires unusual action while the situation remains grave.”
2. Fiscal policy is “not wholly dependent on expectations changing for its effect (more robust to alternative models of expectations)”
1. 深刻な景気後退への財政的な対応には、嵐が過ぎ去れば、政策を変更するとコミットする必要はない。それは、「状況が深刻である間、普通でない行動が必要なだけだ。」
2. 財政政策は、「その効果の発現に関して、期待の変化にまったく依存しない(代替の期待モデルではもっと頑強である)」。


That’s about what I was thinking in, say, January 2009. With the severe financial crisis still relatively recent, and many people still expecting a V-shaped recovery, it didn’t seem possible to persuade the Fed to commit to a permanent rise in the monetary base or a rise in the medium-run inflation target, nor did it seem possible to convince markets that there had been a long-run change in policy. The chances for persuading Congress to agree to a large temporary fiscal stimulus seemed much better.
これは、私が2009年の1月に考えていたことである。深刻な金融危機は比較的には最近のことであり、多くの人はV字回復を期待していたが、FRBがマネタリー・ベースの永続的な上昇にコミットすることや、中期的なインフレ・ターゲットを導入することを説得できる可能性があるとは考えられなかった。また、市場に長期的な政策の変化があると確信させることが可能だとも考えられなかった。議会に、一時的な巨額の財政刺激策に同意するように説得する可能性は、もっとありえそうに思えた。

But as it turned out, that didn’t happen either; we got an inadequate stimulus, and the failure of that stimulus to do more was then taken as proof that Keynesian policies don’t work – in part because the Obama administration insisted and continues to insist that the size of that stimulus was just right.
だが、後で分かったことだが、どちらも起こらなかった。我々が得たものは不十分な財政刺激策であり、もっと多くの刺激策を行うのに失敗したことが、ケインズ政策は作用しない証拠として受け取られることになった―部分的には、オバマ政権が、その財政刺激策の大きさは適度なものだと主張したし、今でも主張し続けているからだ。

So what was the right answer? I guess I’d say that if powerful political forces block any effective response to a crisis, there is no effective response to that crisis.
そこで、正しい答えとはなんだろうか? 私が思うのは、危機に対してあらゆる効果的な対応策を、政治的な権力が妨害するなら、その危機への効果的な対応策は存在しなくなるということである。

America’s Chinese disease (not quite what you think)/October 19, 2009, 5:07 PM

America’s Chinese disease (not quite what you think) アメリカの中国病(あなたの考える意味ではない)

Fed chairman are expected to speak in code, so that reading their remarks is a bit like watching the famous scene in Annie Hall where the conversation between the lovers is subtitled with what they’re really saying. So when Ben Bernanke says this:
FRB議長は暗号のように話すと考えられている。そこで、彼らの言説を読む際には、『アニーホール』の有名なシーンを見るときのようにしたほうがいい。そこでは、恋人たちが会話している時には、彼らが本当に言わんとすることが字幕で表される。だから、バーナンキが次のようなことを言う時には:

Another set of lessons that Asian economies took from the crisis of the 1990s may be more problematic. Because strong export markets helped Asia recover from that crisis, and because many countries in the region were badly hurt by sharp reversals in capital flows, the crisis strengthened Asia’s commitment to export-led growth, backed up with large current account surpluses and mounting foreign exchange reserves. In many respects, that model has served Asia well, contributing to the rapid growth rates in the region over the past decade. In fact, it bears repeating that evidence from the world over shows trade openness to be an important source of economic growth. However, too great a reliance on external demand can also pose problems. In particular, trade surpluses achieved through policies that artificially enhance incentives for domestic saving and the production of export goods distort the mix of domestic industries and the allocation of resources, resulting in an economy that is less able to meet the needs of its own citizens in the longer term.
1990年代の危機によって、アジア経済が学んだ一連の教訓は、もっと問題の多いものになるかもしれない。なぜなら、強い輸出市場がアジアの危機からの回復を助けたことと、資金流入の急激な逆流がその地域の多くの国をひどく傷つけたことから、危機の後、アジアは、大きな経常収支の黒字と巨額の外貨準備高の積み立てに支えられた、輸出主導の成長により強くコミットすることになった。多くの点において、このモデルはアジアにとって役に立つものであり、その地域での過去十年以上の急速な成長率に貢献した。実際に、それは、世界中の証拠が示すように、貿易の開放度が経済成長の重要な資質であることを再確認させることになった。しかしながら、対外需要にあまりにも頼りすぎることは、更なる問題を生む可能性もある。特に、人為的に、国内の貯蓄と輸出財の生産のインセンティブを強化することを通して達成された貿易黒字は、国内で消費される産業との調合と資源の配分を捻じ曲げてしまい、結果として、長期で見ると、経済はその市民の必要性を満たすことができなくなる。


the subtitle reads
字幕はこうなる

HEY, CHINA, STOP ACCUMULATING DOLLARS ― IT’S TIME TO REVALUE YOUR CURRENCY
おい、中国、ドルを貯めこむのを止めろ―そろそろ通貨切り上げの時だろ


But does the United States dare put pressure on the Chinese to do that? People constantly say that we can’t risk it ― that we’re dependent on China to keep buying our debt. Yet this is all wrong under current circumstances.
でも、アメリカはなんとかして中国にそうするようにプレッシャーをかけているんだろうか? 人々が決まって言うのは、そんなリスクは犯せない―我々は中国がアメリカの借金を買い続けてくれることに依存している。だが、これは現在の状況においてはまったく間違っている。

How do I know it’s all wrong? Here’s one way to think about the issue that I haven’t seen anyone else put forth (if they have, I’ll be happy to give credit.)
どのようにして、私は、それがまったく間違っていると知ったのか? 次にこの問題に関して、誰も言及しているのを見たことがない一つの考え方を示す(もし、そういう人がいるなら、私は喜んで賞賛する)。

Right now, we’re in a situation in which conventional monetary policy is hard up against the zero lower bound; rules of thumb that track past Fed behavior suggest that the short-term interest rate should be -5% or lower. To partially make up for its lack of traction, the Fed is engaged in massive “quantitative easing” ― a misleading term, but I guess we’re stuck with it. What it basically means is that the Fed is selling Treasury bills or their equivalent (interest-paying excess bank reserves are essentially the same thing), while buying other assets, expanding its balance sheet enormously in the process.
今、我々は、ゼロ下限の金利に直面して、伝統的な金融政策が困難な状況にある。過去のFRBの行動を追跡することによって得られた経験則によると、現在の短期金利は-5%かそれ以下でなければならない。部分的には、その欠けている牽引力を埋め合わせるために、FRBは大規模な「量的緩和」を採っている―誤解を誘う言葉だが、使わざるを得ないように思う。それが基本的に意味するのは、FRBが短期国債かそれに相当するもの(預金準備金の過剰な部分に金利を支払うのは、実質的に同じことだ)を売って、他の資産を買うことであり、その過程において、バランスシートは非常に拡大する。

What kinds of other assets? Mortgage-backed securities; securities backed by credit-card debt; longer-term government debt; etc..
他の資産はどのような種類のものか? 担保保障有価証券、クレジットカードの債務によって裏付けられた有価証券、長期国債、その他。

One type of asset the Fed has not been buying is foreign short-term securities. But that’s not because such purchases would be ineffective. On the contrary, selling domestic short-term debt and buying its foreign-currency counterpart is the essence of a sterilized foreign-exchange-market intervention, which is a time-honored way of gaining a competitive advantage and helping your economy expand.
FRBが買うことのない資産の一つが、外国の短期有価証券だ。だが、それは、その資産を買うことに効果がないからではない。反対に、国内の短期債務を売って、外国通貨建てのそれに相当する物を買うことは、非不胎化の外国為替市場介入にとって本質的なものであり、競争力を獲得して、経済を拡大させるのに役立つ由緒ある方法である。

And some countries have, in fact, made foreign-currency purchases a part of their quantitative easing strategy ― Switzerland in particular. The only reason the Fed isn’t doing this is that we’re a big player, and can’t be seen to be pursuing a beggar-thy-neighbor strategy.
実際に、量的緩和戦略の一端として、外国通貨建てのものを買っている国がいくつかある―特にスイス。FRBがこれをしない唯一の理由は、アメリカがビッグ・プレイヤーだからであり、近隣窮乏化政策を採っていると見られないためである。

But now ask the question: what would the effect be if China decided to sell a chunk of its Treasury bill holdings and put them in other currencies? The answer is that China would, in effect, be engaging in quantitative easing on behalf of the Fed. The Chinese would be doing us a favor! (And doing the Europeans and Japanese a lot of harm.)
だが、今、あの疑問を尋ねよう:もし、中国が所有する米短期国債を大量に売って、他の通貨建てのものを買うことを決定したら、どうなるだろうか? 答えは、結果として、中国はFRBのために量的緩和をしてくれていることになる。中国人は我々に親切なことをしてくれることになる(そして、ヨーロッパや日本にとっては非常に害となることをしていることになる)。

Conversely, by continuing to buy dollars, the Chinese are in effect undermining part of the Fed’s efforts ― they’re conducting quantitative diseasing, I guess you could say, hence the title of this post.
反対に、ドルを買い続けることによって、中国は、結果としてFRBの努力を台無しにしている節がある―彼らは反量的緩和をしていると言っていいだろう。それゆえに、この投稿のタイトルになるわけだ。

The point is that right now the United States has nothing to fear from Chinese threats to diversify out of the dollar. On the contrary, if the Chinese do decide to start selling dollars, Tim Geithner and Ben Bernanke should send them a nice thank-you note.
重要なのは、今、中国がドル以外の通貨に多様化するという脅しを怖がる必要はないということだ。反対に、中国がドルを売ることを決定したのであれば、ティム・ガイトナーとベン・バーナンキは彼らに感謝状を送るべきだ。


翻訳の感想:かなり古い記事ですが、クルーグマン自身の推奨記事。ここ

The FOO Theory of Investment/June 21, 2011, 6:35 AM

The FOO Theory of Investment 投資のFOO理論

It is now a firm article of faith, not just on the hard right, but among many Serious People, that business investment is depressed because of FOO ― Fear of Obama.
現在、極右だけでなく、多くの「真面目な人々」の間で堅固な信条になっているのが、ビジネス投資はFOO―オバマへの恐れ―のために落ち込んでいるというものだ。

But it just ain’t so. Investment has been growing quite fast since the economy bottomed out; it’s still low, but that’s what you’d expect given the fact that the economy is still depressed and awash in excess capacity. Brad DeLong has a good chart:
だが、それはまったく違う。投資は、経済が落ち込んで以来、かなり速く成長している。それでも低いと言えるが、それは、経済がずっと落ち込んでいて、過剰生産能力でいっぱいの時には、当然予想されるものである。ブラッド・デロングが良いチャートを提示している:

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FOO is, of course, sort of the dark side of the Confidence Fairy.
当然、FOOは「信頼の妖精」の暗黒面であると言える。

Why Your Comment Was Deleted/June 22, 2011, 3:12 AM

Why Your Comment Was Deleted なぜ、あなたのコメントは弾かれるのか?

1. Gee whillikers, you used an obscenity! It’s clear that many people don’t even realize that they’re using banned words. But that’s by far the biggest reason for rejection.
1. オー、神よ、あなたが猥褻な言葉を使ったからだ! 
明らかに、多くの人々は禁止用語を使っていることを認識すらしていない。でも、それが拒絶の最大の理由となっている。


2. You’re off topic.
2. あなたはトピックとずれている。

3. YOU USED TOO MANY CAPITALIZED LETTERS!
3. あなたは大文字を使いすぎている!

4. You’re a recognized troll. At the moment there are only two of these, using a variety of names.
4. あなたは荒らしと認識されている。現時点では、たった2人しかいないが、いろんな名前を使う。

5. You’re completely incoherent.
5. あなたは完全に支離滅裂だから。

6. You’re a robot trying to sell Viagra, etc..
6. あなたはバイアグラその他を売ろうとするロボット・プログラムだから。

Are there smart, focused comments rejected because they’re too effective? No. Never. Get a life.
賢明で、焦点があっているが、あまりにも鋭すぎるために拒絶されたコメントはあるのか? ない。まったくない。ちゃんとやってくれ。

Update: Yes, the software identifies possible obscenities in red. Some false positives. But you really do see just how !@#%$ often people use obscenities without even noticing.
更新:確かに、ソフトウェアが猥褻用語に当たるかを判断している。誤って猥褻用語と判断してしまうこともある。でも、人々が気づかないうちに猥褻用語をどれだけ頻繁に使っているかを見るべきだ。


翻訳の感想:Gee whillikersは、イエス・キリストもしくはエルサレムのこと。

Kicking the Eurocan/June 19, 2011, 5:42 AM

Kicking the Eurocan ユーロの缶蹴り

The reaction of European leaders and institutions to the Greek crisis is a sight to behold. Essentially, it boils down to the fact that default would be very inconvenient, both as a practical matter and in terms of prestige. Therefore default must not be considered a possibility, even though it has long been obvious that non-default is not an option.
ギリシアの危機に対するヨーロッパのリーダーや公共機関の対応は、注視して見守ることである。本質的に、それは、デフォルトが実際的な問題としても、威信の問題としても都合が悪いという事実に要約される。それゆえ、デフォルトはその可能性すら決して考慮されない。たとえ、長期的には、デフォルト無しですむ選択肢は存在しないことが明らかであったとしても。

So will they kick the can down the road once again? I don’t know. What I do know is that the costs of this strategy of delay are themselves badly misunderstood.
そして、彼らは再び先送りするのだろうか? 私には分からない。私が分かるのは、彼らがこの先延ばし戦略のコストを酷く誤解していることだ。

I keep seeing statements along the lines that delaying a full resolution of the Greek situation is costing hundreds of billions of euros, because estimates of the size of the needed financial rescue fund keep going up. But such calculations totally miss the point. The European Stabilization Fund isn’t a transfer program; it’s a credit line designed to provide liquidity to get past a temporary cash squeeze. Since that’s not the actual problem, the size of the fund is a measure of European delusion, not a bailout cost.
ギリシアの状況を全面的に解決することを先延ばしにすることにより、必要とされる財政的援助の資金の推定値が上昇し続けているため、そのコストは1000億ユーロもの額になるという趣旨の言説を、私は耳にし続けている。だが、そんな計算は、全体としてポイントがずれている。ヨーロッパ安定化基金は資金移転プログラムではない。それは、一時的な現金不足を乗り切れるように、流動性を供給することを計画された信用供与枠である。それが現実的な計画でなくなって以来、その基金のサイズは、資金援助にかかるコストではなく、ヨーロッパ人の幻想を測る手段になっている。

Nor is Greece like a Texas thrift in the 1980s, using deposit insurance plus deregulation to make ever bigger gambles, and thereby blowing up the eventual cost of the bailout.
また、1980年代におけるテキサスの貯蓄金融機関は、さらに大きいギャンブルをするために預金保険を使い、さらに規制緩和も加わることにより、結果としての救済融資のコストは膨れ上がったが、ギリシアはそうではない

So what are the real costs of kicking the can down the road? I’d say that you want to think of it two ways: the costs to Europe as a whole, including Greece, and the costs to Europe ex-Greece.
そこで、先延ばしすることの真のコストとは何なのか? 私は2つの場合に分けて考えるのがいいと思う。すなわち、ギリシアも含む、全体としてのヨーロッパのコストと、ギリシア以外のヨーロッパのコストだ。

For Europe including Greece, the costs of delay are the real costs to the Greek economy: delaying a realistic resolution of the debt problem means extending the period of high unemployment and depressed output. Add up the cumulating Greek output gap, and there’s one estimate of the true cost of delay.
ギリシアを含むヨーロッパにとって、先送りのコストは、ギリシア経済が実際に被るコストのことである。借金問題の現実的な解決策を先送りすることは、失業率が高く、生産の落ち込んでいる期間が拡大することを意味する。ギリシアのその生産ギャップを足し合わせれば、先延ばしによって生じる真のコストの推計値が得られる。

For Europe ex-Greece, the costs of delay are whatever that delay does to reduce the amount that Greece will eventually pay its creditor. I think there’s a good case to be made that at this point demands for even more austerity are counterproductive, even in terms of creditors’ interests: the Greek economy is suffering long-term damage, the Greek political scene is being radicalized, and the chances of Greece just telling its creditors to take a hike while it devalues the new drachma are rising.
ギリシアを除いたヨーロッパにとっては、先延ばしのコストは、それによってギリシアが結果として債権国に返済する額が、どれだけ減少するかに拠っている。私は、この点において、さらに財政緊縮策を要求することは、債権者の利益から見たとしても、逆効果であると言うことができるのではないかと思っている。つまり、ギリシア経済は長期間の損害を被るっているし、ギリシアの政治状況は尖鋭化しつつあるので、ギリシアが債権国に別れを告げて、新しいドラクマに切り下げる可能性が高まっている。

In any case, what you have to ask now is what Europe is waiting for. Why will six months more of credit lines and suffering make the situation any better?
いずれの場合であれ、今、問われなければならないのは、ヨーロッパが何を待っているのかということだ。なぜ、6ヶ月間のさらなる信用供与と苦しみが、この状況を少しでも良くすると言うのか?



翻訳の感想:kick the can down the roadは、先延ばしにするという意味。

WWFD? WSWC?/November 8, 2010, 9:07 AM

WWFD? WSWC?

So our monetary policy gurus are framing their debate in theological terms: What Would Friedman Do? How sad.
我らが金融政策のグルたちは、神学的な言葉で議論を組み立てようとしている。「フリードマンなら何をするだろうか?」 なんとも悲しいことだ。

For one thing, this isn’t how you’re supposed to do economics. Economics, at least the way I learned it, is about analytical frameworks and data, not authority figures. Actually, that’s one barrier one has to cross with some students – to get them past the point of believing that one must not criticize Great Men. (The next step is to get them to modulate: papers that begin “The stupid Tobin …” are not the way to go.)
まず、これはあなたが経済学を行うときに求められる態度ではない。少なくとも私が学んできた限りでは、経済学は分析的な枠組みとデータについてのものであり、権威的存在者についてのものではない。事実として、それは生徒と共に乗り越えなければならない障壁だ―彼らを、偉大な人間は批判されるべきではないと信じるような地点から連れて行かないといけない(次のステップは、彼らに修正させてやることだ:「あの愚かなトービンは…」で始まるような論文は進むべき道ではない。)

Beyond that, it happens to be the case that Friedman was quite bad at diagnosing monetary policy in real time. As David Warsh once pointed out,
それ以上に、フリードマンは現実の金融政策において、酷く間違った診断を下したことがあった。デビッド・ウォルシュがかつて指摘しように、

Friedman blunted his lance forecasting inflation in the 1980s, when he was deeply, frequently wrong.
フリードマンは1980年代に、インフレを予想する時には切れ味が悪かった。そのころ、彼は深刻に、また頻繁に間違っていた。


More broadly: the core of monetarism was the claim that steady growth in monetary aggregates, M2 in particular, was the key to a stable economy. But after a brief flirtation with monetarism from 1979-82, the Fed turned to a more discretionary approach, which led to wild fluctuations in M2 growth:
もっと広く言おう。マネタリズムの核は、特にM2のような貨幣の集計量を一定の成長率で維持することが、安定した経済にとっての鍵になるというものだ。だが、1979-82年にかけてマネタリズムが束の間に繁栄した後、FRBはもっと裁量的なアプローチに転換したが、そのことはM2の成長率をもっと乱暴に変動させることなった:

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And yet, until the crisis of 2008, this was the era of the Great Moderation.
それにもかかわらず、2008年の危機までずっと、大安定期の時代が続いた。

Last but not least, as I’ve pointed out before, Friedman was completely wrong in his diagnosis of liquidity-trap Japan – which happens to have been a dress rehearsal for America right now.
最後に言っておきたいのだが、私がかつて指摘したように、フリードマンの日本における流動性の罠の診断は完全に間違っていた―それは現在のアメリカにとってのドレス・リハーサルだった。

So the right answer to the question, What Would Friedman Do? is Why Should AnyoneWe Care?
そういうわけで、「フリードマンなら何をするだろうか?」という疑問への正しい答えは、「何でそんなこと気にしなきゃいけないの?」だ。


翻訳の感想:去年の記事。

The Economic Consequences of Mr. Trichet/June 10, 2011, 10:00 AM

The Economic Consequences of Mr. Trichet トリシェ氏の経済的帰結

In response to my latest Iceland-Ireland post, a commenter at The Irish Economy writes,
最近の私のアイスランド-アイルランドに関する記事への反応の中で、The Irish Economy誌のコメンテーターが次のように書いている、

Ireland and Iceland are like orphans that have been taken in by 2 different foster families. Iceland ended up with a circus crowd. Not very intellectual but people with a lot of cop on.
アイルランドとアイスランドは、2つの別々の家族に引き取られた孤児のようなものだ。アイスランドは結局、サーカス団の中に入った。まったく知的ではないが、やるべきことはやる人々である。

The Trichets are a very respectable couple who took in Ireland but Mr Trichet has a ferocious temper and he never admits to his wife that she is right when she suggests he should look at the map.
アイルランドを引き取ったトリシェ夫妻はとても尊敬すべきカップルであるが、トリシェ氏は凶暴な気質を持っていて、妻が正しくも地図を見るように提案しても、決して受け入れない。


Quite. William Black has a great catch: a Trichet speech from 2004 in which he praises Ireland to the skies. Also, way back then he was pushing the same doctrine of expansionary austerity he has clung to more recently, in the teeth of the evidence.
確かにそうだ。ウィリアム・ブラックはよく把握している:2004年のスピーチの中で、トリシェはアイルランドを褒めちぎった。そして、以来ずっと、彼は「景気拡大的な財政緊縮策」を推し進めて来て、証拠に反しているというのに、最近、ますますそれにしがみついている。

Same as he ever was. He might ask himself, “My God! What have I done?” But he won’t.
彼はその時とまったく同じだ。かつては、彼はこう自問していたかもしれない、「神よ、私が何をしたというのですか?」 でも、今後はそうすることはないだろう。

The Obstinacy of Error, Interest Rates Edition/June 19, 2011, 5:20 AM

The Obstinacy of Error, Interest Rates Edition 間違いの強情さ、利子率版

Brad DeLong reposts something he wrote two years ago about interest rates; it was, I think, at least in part a followup to my slightly earlier post on liquidity preference and loanable funds. Brad and I both believe that the story of interest rates in this crisis is both remarkable and under-appreciated.
ブラッド・デロングが、2年前に利子率について書いたものを再投稿している。それは、少なくとも部分的には、私のごく最近の流動性選好と貸出資金についての記事を補足するものだと思う。ブラッドと私はともに、この危機の中で、利子率の話は注目すべきものであると同時に、過小評価されていると考えている。

Here’s how it went down. In early 2009 we were faced with the prospect of (a) huge borrowing by the United States and other advanced-nation governments, because the recession had savaged revenues and increased the costs of safety-net program (b) a protracted period of high unemployment, with monetary policy likely to be up against the zero lower bound for years to come.
話はこんな流れになる。2009年初期、我々は、(a)不景気が歳入を削り、セーフティーネットにかかる費用が増大するため、アメリカや他の先進国政府が巨額の借り入れを行う(b)金融政策が、数年間ゼロ下限金利に直面し続けるため、高い失業率は長引いたものになる、という見通しに直面した。

Many private investors – plus economists and economic commentators who never understood Keynes – looked at (a) and confidently predicted soaring interest rates. Economists who did get Keynes looked at (b) and said that rates would stay low unless government borrowing was large enough to return the economy to something like full employment, which was unlikely.
多くのケインズを理解していなかった民間の投資家―それに、経済学者や経済のコメンテーター―は、(a)を見て、自信たっぷりに利子率が急上昇することを予想した。ケインズを理解している経済学者は、(b)を見て、政府の借り入れが、経済を完全雇用に近い状態まで持っていくほど十分に大きいものでないなら、そして、それはありえそうにないので、利子率は低いままだろうと言った。

The economic argument for rates staying low, by the way, wasn’t complicated: it amounted to saying that the IS curve looked like this:
ところで、利子率が低いままで止まるという経済学的な論旨は複雑なものではない。それは、ISカーブがこんな風であると言うものだ:

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and that there was no reason for the interest rate to rise, even with large government borrowing, unless that borrowing shifted the IS curve enough to the right to bring the economy above the zero lower bound. The subtlety arose from understanding that at each point on that IS curve the supply and demand for loanable funds are in fact equal, that liquidity preference and loanable funds are both true.
そして、たとえ政府の借り入れが大きくても、その借り入れがISカーブをシフトさせて、経済をゼロ下限金利より上に持ってくるほど十分に大きいものでないなら、利子率が上昇するような理由は何もない。ISカーブ上のそれぞれの点において、貸付資金の需要と供給は実際に等しくなり、流動性選好と貸付資金がともに実現するということを理解するのには捉えがたいところがある。

And here we are, two-plus years later, and the interest rate on 10-year U.S. Treasuries is only 2.94 percent. This should count as a triumph of economic analysis: the model was pitted against the intuitions of practical men, making a prediction many people considered ridiculous – and the model was right.
今、それから2年が経った。アメリカの10年物国債の利子率はたった2.94%だ。これは経済的分析の大手柄の一つして数えられるべきだ。つまり、このモデルは実際的な人の直感に逆らい、多くの人々の予想を馬鹿げたものと看做した―そして、モデルは正しかった。

And nobody noticed; economic discourse – and even a lot of investment strategy ― continues to rely on the supply-and-demand-for-bonds view, even though it has been thoroughly discredited by experience.
そして、そのことに誰も気づいていない。経済的な議論は―たくさんの投資戦略でさえ―引き続き「債券の需要と供給」的観点に依存している。それは、経験によって徹底的に否定されているというのに。

How is this possible?
こんなことがどうすれば可能なのか?

One answer is that the Greeks muddied the waters. The solvency problems of the Greek government actually have nothing to do with the notion that we’ll face crowding out because the government is selling too many bonds, even with the economy depressed; but many of the original crowding-out prophets nonetheless seized on Greece and claimed that it vindicated their views.
一つの答えは、ギリシアが混乱させたからだ。ギリシアの支払い能力の問題は、事実として、経済が落ち込んでいたとしても、政府があまりにも多く債券を売りすぎれば、クラウディング・アウトの問題に直面してしまうという観念とはまったく関係ない。それにもかかわらず、初めにクラウディング・アウトを予言した者の多くは、ギリシアの例にしがみつき、彼らの見解が証明されたと主張している。

More broadly, I guess it turns out that Hicks/Keynes analysis is harder than it looks, and that even smart people – many of them with economics PhDs – just can’t wrap their minds around the notion that sometimes just doing supply and demand isn’t enough.
もっと広く言えば、それは、ヒックス/ケインズ分析は見かけよりも理解するのが難しいことを示しているように思われる。賢い人々ですら―彼らの多くは経済学のPhDを持っている―時には需要と供給だけでは十分でないという観念を思考に取り込むことすらできないように見えるから。

The result – that one theory has been proved wrong, another proved right, yet the world continues to believe in Theory #1 – is frustrating. It’s also tragic, because that intellectual obstinacy is contributing to the “new normal” of permanently high unemployment.
その結果―1つの理論が間違っていると証明されて、もう1つの理論は正しいと証明されたのに、まだ世界は理論#1を信じ続けている―は、いらだたしいものである。それは悲劇でもある。なぜなら、知的な強情さは、永続的な高い失業率という「新たな標準」に寄与しているのだから。

The Instability of Moderation/November 26, 2010, 9:40 AM

The Instability of Moderation 中庸の不安定性

Brad DeLong writes of how our perception of history has changed in the wake of the Great Recession. We used to pity our grandfathers, who lacked both the knowledge and the compassion to fight the Great Depression effectively; now we see ourselves repeating all the old mistakes. I share his sentiments.
ブラッド・デロングが、大不況に続いて、我々の歴史認識がどのように変わっていったのかについて書いている。我々はかつて祖父を哀れんだものだ。彼らは大恐慌と効果的に戦うための知識と同情心をどちらも欠いていたから。今、我々はその古い過ちをそっくりそのまま繰り返している。私は彼と心情を共有している。

But watching the failure of policy over the past three years, I find myself believing, more and more, that this failure has deep roots – that we were in some sense doomed to go through this. Specifically, I now suspect that the kind of moderate economic policy regime Brad and I both support – a regime that by and large lets markets work, but in which the government is ready both to rein in excesses and fight slumps – is inherently unstable. It’s something that can last for a generation or so, but not much longer.
だが、過去3年以上の政策の失敗を見ると、私はますますこの失敗には深い根があると―ある意味では、こうなることは運命付けられていた―考えるようになっている。具体的に言えば、ブラッドと私が共に支持している穏健な経済政策のレジーム―政府が行き過ぎに手綱をつけないといけない時や、不況と闘う時を除いて、基本的には市場の作用に任せるというレジーム―は、本質的に不安定なのではないかと疑っている。それは、一世代かあと少しは存続できるものであるが、それ以上は無理なのではないか。

By “unstable” I don’t just mean Minsky-type financial instability, although that’s part of it. Equally crucial are the regime’s intellectual and political instability.
私が「不安定性」という時、それはミンスキー型の金融不安定性そのものを意味するわけではない。それはその中の一部ではある。だが、そのレジームの知的そして政治的不安定性もまた同様に本質的なものである。

Intellectual instability
知的不安定性

The brand of economics I use in my daily work – the brand that I still consider by far the most reasonable approach out there – was largely established by Paul Samuelson back in 1948, when he published the first edition of his classic textbook. It’s an approach that combines the grand tradition of microeconomics, with its emphasis on how the invisible hand leads to generally desirable outcomes, with Keynesian macroeconomics, which emphasizes the way the economy can develop magneto trouble, requiring policy intervention. In the Samuelsonian synthesis, one must count on the government to ensure more or less full employment; only once that can be taken as given do the usual virtues of free markets come to the fore.
私が日々の研究で使っている経済学のブランド―そのブランドは、私がいまだもっとも合理的なアプローチと考えている―は、大部分、1948年にポール・サミュエルソンによって設立された。その年に、彼は古典的な教科書の第一版を出版した。それは、どのようにして見えない手が一般的に望ましい結果に導くかを強調する、ミクロ経済学の偉大な伝統を、どうやって経済が甚大な困難に至り、政策の介入が必要になるかを強調する、ケインズ経済学と結合させるアプローチである。サミュエルソン的総合の中では、多かれ少なかれ、完全雇用を満たすためには政府が必要とされる。そして、いったん、それが達成されれば、自由市場のいつもの美徳が前面に来るようになる。

It’s a deeply reasonable approach – but it’s also intellectually unstable. For it requires some strategic inconsistency in how you think about the economy. When you’re doing micro, you assume rational individuals and rapidly clearing markets; when you’re doing macro, frictions and ad hoc behavioral assumptions are essential.
それは非常に合理的なアプローチである―だが、それは知的には不安定でもある。それは、経済の仕組みを考える際に、戦略的な矛盾を必要としているからだ。ミクロについて考える時には、合理的な個人や速やかな市場の清算を仮定する。マクロについて考える時には、摩擦やその場しのぎのふるまいが不可欠となる。

So what? Inconsistency in the pursuit of useful guidance is no vice. The map is not the territory, and it’s OK to use different kinds of maps depending on what you’re trying to accomplish: if you’re driving, a road map suffices, if you’re going hiking, you really need a topo.
それがどうしたと言うのか? 役に立つガイダンスを追求する中での矛盾は悪徳ではない。地図は土地そのものではない。達成しようとするものに応じて異なる種類の地図を使っても構わない。つまり、ドライブする時には道路地図で十分だし、ハイキングに行く時には等高線地図が必要だ。

But economists were bound to push at the dividing line between micro and macro – which in practice has meant trying to make macro more like micro, basing more and more of it on optimization and market-clearing. And if the attempts to provide “microfoundations” fell short? Well, given human propensities, plus the law of diminishing disciples, it was probably inevitable that a substantial part of the economics profession would simply assume away the realities of the business cycle, because they didn’t fit the models.
だが、経済学者はミクロとマクロの分割線を押し出してしまう運命にあった―実際には、それはマクロをよりミクロに近づけること、ますます最適化と市場の清算に土台を置くことを意味する。もし、「ミクロ的基礎」を提供する試みが不足したとしたら? うん、人間の本性と、逓減の法則の子弟たちとを合わせれば、たぶん、経済学の職業としての本質的な部分で、景気循環の現実は単に想定されなくなるのは避けられないことだった。なぜなら、それはモデルと合わないから。

The result was what I’ve called the Dark Age of macroeconomics, in which large numbers of economists literally knew nothing of the hard-won insights of the 30s and 40s – and, of course, went into spasms of rage when their ignorance was pointed out.
その結果は、私が言うところの、マクロ経済学の暗黒時代だ。その中において、たくさんのマクロ経済学者が30年代、40年代に勝ち取られた洞察を文字通り何も知らない―そして、もちろん、彼らは無知であることを指摘されると怒りの発作を起こしてしまう。

Political instability
政治的不安定性

It’s possible to be both a conservative and a Keynesian; after all, Keynes himself described his work as “moderately conservative in its implications.” But in practice, conservatives have always tended to view the assertion that government has any useful role in the economy as the thin edge of a socialist wedge. When William Buckley wrote God and Man at Yale, one of his key complaints was that the Yale faculty taught – horrors! – Keynesian economics.
保守派でありながら、ケインジアンであることも可能だ。結局のところ、ケインズ本人が、自らの仕事を「その内容においては、適度に保守的なもの」としている。だが、実際には、保守派は、政府が経済にとって何らかの有益な役割を果たすという考えを、やがて社会主義へと至る一歩と常にみなしてきた。エール大学のウィリアム・バックリーが『God and Man』を書いた時、その主要な不平の一つは、エール大学が教えているのが―恐ろしいもの―ケインズ経済学だったことだ。

I’ve always considered monetarism to be, in effect, an attempt to assuage conservative political prejudices without denying macroeconomic realities. What Friedman was saying was, in effect, yes, we need policy to stabilize the economy – but we can make that policy technical and largely mechanical, we can cordon it off from everything else. Just tell the central bank to stabilize M2, and aside from that, let freedom ring!
私はマネタリズムを、マクロ経済学的な現実を否定することなく、結果として、保守的な政治的偏見を宥めるための試みであると常にみなしてきた。フリードマンが言っていたことは、本質的には、経済を安定化させるための政策が必要であるということだ―だが、その政策は技術的に、大部分は機械的にすることができる。それ以外の全てのことは哨兵線の外におくことができる。中央銀行にM2を安定化させるようにだけ言っておけ、それ以外のことは、自由の鐘を鳴らしておけ!

When monetarism failed – fighting words, but you know, it really did ― it was replaced by the cult of the independent central bank. Put a bunch of bankerly men in charge of the monetary base, insulate them from political pressure, and let them deal with the business cycle; meanwhile, everything else can be conducted on free-market principles.
マネタリズムが失敗に終わった時―戦闘的な言葉だが、実際にそうなんだよ、分かるだろう―中央銀行の独立性カルトに取って代わられるだけだった。銀行マンの集団にマネタリーベースの責任を任せておけ、政治的圧力から隔離して、彼らに景気循環の対処をまかせておけ。一方、その他の全てのことは、自由市場原理によって導かれる。

And this worked for a while – roughly speaking from 1985 to 2007, the era of the Great Moderation. It worked in part because the political insulation of central banks also gave them more than a bit of intellectual insulation, too. If we’re living in a Dark Age of macroeconomics, central banks have been its monasteries, hoarding and studying the ancient texts lost to the rest of the world. Even as the real business cycle people took over the professional journals, to the point where it became very hard to publish models in which monetary policy, let alone fiscal policy, matters, the research departments of the Fed system continued to study counter-cyclical policy in a relatively realistic way.
これは、しばらくの間は作用した―大まかに言うと、1985年から2007年まで―大安定期の時代だ。これは、部分的には、彼らは政治的に隔離されることにより、知的にも隔離されることになったからである。マクロ経済学の暗黒時代において、中央銀行は、外の世界では失われた古代の本を貯蔵して、学習している修道院のようであった。リアル・ビジネス・サイクルの人々が専門的な査読誌をのっとり、財政政策は論外として、金融政策が重要であるとするモデルを発表するのは非常に難しくなるところまで来たとしても、FRBの調査部門は、相対的には現実的な手法により、景気循環を均す政策を研究し続けていた。

But this, too, was unstable. For one thing, there was bound to be a shock, sooner or later, too big for the central bankers to handle without help from broader fiscal policy. Also, sooner or later the barbarians were going to go after the monasteries too; and as the current furor over quantitative easing shows, the invading hordes have arrived.
だが、これもまた不安定になってしまった。一つには、遅かれ早かれ、中央銀行家が扱うには大きすぎて、より広い財政政策の助けなしには対処できなくなってしまうようなショックが起こる運命にあった。また、遅かれ早かれ、あの野蛮人たちは修道院に狙いを定めていただろう。量的緩和に対する現在の馬鹿騒ぎは、侵略者の大群が到着してしまったことを示している。

Financial instability
金融的不安定性

Last but not least, the very success of central-bank-led stabilization, combined with financial deregulation – itself a by-product of the revival of free-market fundamentalism – set the stage for a crisis too big for the central bankers to handle. This is Minskyism: the long period of relative stability led to greater risk-taking, greater leverage, and, finally, a huge deleveraging shock. And Milton Friedman was wrong: in the face of a really big shock, which pushes the economy into a liquidity trap, the central bank can’t prevent a depression.
最後だが重要なこととして、中央銀行の主導による安定化の非常な成功は、金融の規制緩和と共に―それ自体が自由市場原理主義の復活による副産物である―中央銀行が対処するには大きすぎるほどの危機をお膳立てすることになった。これがミンスキーイズムである:長期間にわたり相対的に安定していることが、リスクの引き受けを大きくして、レバレッジを大きくして、そして、最終的には巨大なレバレッジの巻き戻しショックが発生する。そして、ミルトン・フリードマンは間違っていた。つまり、本当に大きいショックが起こると、経済は流動性の罠に入り込んでしまい、中央銀行が不況を妨げることはできなくなる。

And by the time that big shock arrived, the descent into an intellectual Dark Age combined with the rejection of policy activism on political grounds had left us unable to agree on a wider response.
そして、この巨大なショックが到着する時には、政治的な場において行動主義的な政策は否定され、我々は知的暗黒時代へと下落して行ってしまい、もっと広い対応を採ることに同意することができなくなってしまった。

In the end, then, the era of the Samuelsonian synthesis was, I fear, doomed to come to a nasty end. And the result is the wreckage we see all around us.
最後に、サミュエルソン的総合の時代は、私が恐れたとおり、悲惨な結末を迎える運命にあった。そして、その結果は、我々の目前に広がる瓦礫の山だ。


翻訳の感想:クルーグマン自身の推奨記事。ここ
the thin edge of a wedgeは、重大な事になる小さな糸口のこと。

Wages and Employment, Again (Wonkish)/January 16, 2011, 11:25 AM

Wages and Employment, Again (Wonkish) 賃金と雇用、再び(オタク風)

I occasionally mention here that recognizing the reality of wage stickiness is a key part of demand-side economics, but I’ve also argued a number of times that cutting wages now would probably make the slump worse, not better. Is there a contradiction here?
私は時折、このブログで、賃金には粘着性があるという事実を認識することが、需要サイドの経済学にとってカギとなる部分であると語ってきた。だが、私は何度も、賃金を削ることはたぶん不況を良くするのではなく、より悪化させるだろうとも論じている。ここに矛盾はないのか?

No, there isn’t ? but it’s a slightly tricky subject.
いや、矛盾はない―でも、ちょっと扱いにくい問題だ。

There’s a long tradition in macroeconomics, going back to Franco Modigliani in 1944, in which money has real effects precisely because it pushes against sticky nominal wages. As the late Rudi Dornbusch used to say, it takes two nominals to make a real, and in Modigliani it actually does all come down to M/w.
マクロ経済学には、1944年のフランコ・モジリアーニの論文にさかのぼる、正確には、貨幣は粘着的な名目賃金に作用することによって、実質的な影響力を持つとされる長い伝統がある。後に、ルディー・ドーンブッシュが言ったが、一つの実質には二つの名目が必要だ。モジリアーニの例では、それはM/wになる。

The way this channel works in standard models, however, is that a rise in the real money supply reduces interest rates, leading to a rise in demand; and a fall in nominal wages for a given money supply would have the same effect. What happens when you’re in a liquidity trap, with short-term interest rates up against the zero lower bound?
一般的なモデルでは、その経路の作用する方法は、実質貨幣供給量の増加が利子率を引き下げ、そのことが重要の増加を導くといった具合に展開する。そして所与の貨幣供給量においての名目賃金の下落は同じ効果を生むだろう。短期金利がゼロ下限に接している流動性の罠にいれば、何が起こるだろうか?

Well, the answer in a simple model is that falling wages and prices can still be expansionary, but only because they reduce current prices relative to expected future prices, and thereby generate expected inflation.
うん、単純なモデルにおける答えとしては、賃金と物価の下落が景気拡大効果を持つこともある。でも、予想される将来の物価に比較して、現在の物価が引き下げられ、それによって、期待インフレが発生するときに限られる。

And once you add in debt-constrained players, it’s likely that the effect actually goes the other way: a fall in wages worsens debt problems, and so ends up contractionary.
いったん、債務制約にあるプレイヤーを加えれば、その効果は事実として逆方向に向かうことになるだろう。つまり、賃金の下落は借金問題をもっと悪化させ、結局のところ景気を収縮させてしまう。

So does this mean that wage stickiness is irrelevant to the situation, that we’d be experiencing the same slump if wages were perfectly flexible? Not quite.
このことは、賃金の粘着性はその状況には関係がない、たとえ賃金が完全に伸縮的であっても、我々は同じ経済のスランプを経験することになるという意味なのか? いや違う。

Some of us encountered a closely related question back in the late 90s, when thinking about the Asian financial crisis. It seemed obvious that there were big problems when people had large foreign-currency debt: a depreciation of the rupiah, say, worsened balance sheets by causing the domestic-current value of debt to explode, and was probably contractionary overall. But this did mean that no amount of depreciation would be expansionary? No; as I wrote in a little paper at the time, once everyone who could go bankrupt had, any further depreciation would be expansionary. So a sufficiently large depreciation could restore full employment.
我々の内のいくらかは、90年代後期、アジアの金融危機を考えている時に近い関係のある疑問につきあたった。外国通貨建ての巨額な借金を持っているのが大きな問題であるのは明らかだ。例えば、ルピアの下落は自国通貨で測った借金の額を急増させることによって、バランスシートを悪化させ、たぶん全般的な景気収縮に至るだろう。でも、これはどんな規模の通貨下落も景気拡大効果はないということを意味するのだろうか? 違う。私がその時に小冊子で書いたように、いったん、破綻する可能性のある人がすべて破綻してしまえば、さらなる通貨下落は景気拡大的になるだろう。だから、十分に大きな通貨下落は完全雇用を回復させることができるだろう。

Similarly, you could argue that a sufficiently large fall in wages could restore full employment now ? but it would have to be a very large wage decline, and the positive effects would kick in only after deflation had first driven just about every debtor in the economy into bankruptcy.
同じように、十分な大きさの賃金下落は、今、完全雇用を回復することができると言うことができるだろうか? だが、それは非常に大きな賃金下落であるに違いない。そして、その積極的な効果は、デフレがまず経済のすべての債務者を破綻させた後に発現する。

The point is that making wages somewhat more flexible, as opposed to perfectly flexible, is not a good thing. And this in turn means that people arguing that what we need right now is more wage flexibility are actually pushing for a policy that would make things worse.
重要なのは、賃金をもっと伸縮的にすることは、完全に伸縮的である場合とは違って、良いことではない。したがって、現在、もっと賃金を伸縮的にすることが必要であると主張している人々は、物事をより悪化させる政策を現実に推し進めていることになる。


翻訳の感想:M/wのMは名目貨幣供給量、wは名目賃金。
以前に訳した、"Wages and Employment, Yet Again"はここ

Fatal Fatalism/June 4, 2011, 9:43 AM

Fatal Fatalism 致命的な運命論

Our current economic discourse is pervaded by fatalism. Leave aside the people who insist that somehow Obama has destroyed capitalist incentives by passing Mitt Romney’s health care plan and threatening to raise tax rates to Clinton-era levels. Even among people who should be sensible, you hear many assertions that run something like this: historically, recovery from financial crisis is usually slow, so we have to accept a slow recovery this time around too. Actually, that’s more or less what Obama has been saying.
現在の経済に関する議論には、運命論が充満している。ミット・ロムニーの医療制度プログラムを通過させて、税率をクリントン時代のレベルにまで引き上げると脅かすことによって、オバマが資本家のインセンティブを破壊していると主張する人々は置いておこう。分別があるはずの人々の間でさえ、多くの人が次のように主張するのを聞いているだろう:歴史的に見れば、金融危機からの景気回復は常にゆっくりしたものだったのだから、我々は今回もまたゆっくりした景気回復を受け入れなければならない、と。これは、多かれ少なかれ、オバマが言っていることでもある。

This fatalism is deeply destructive ― because there’s no good reason we need to experience many years of high unemployment. What historical experience shows isn’t that there’s no answer to post-crisis slumps, it only shows that most governments have responded to such slumps with the same kind of fatalism and learned helplessness we’re showing now. (Hey, Greg, I have first dibs on that!)
この運命論は非常に破壊的なものだ―なぜなら、我々が長期間の高い失業率を経験しないといけないまともな理由は何もないからだ。歴史的な経験が示すのは、危機後の景気後退には答えがないということではなく、ほとんどの政府がそのような景気後退に際して、同じような運命論に陥り、現在の我々のような無力感を身に着けてきたことを示しているだけだ(ヘイ、グレッグ、これは私に先取権がある!)。

We are not, after all, suffering from supply-side problems. We don’t have high unemployment because workers lack the necessary skills, or are stuck in the wrong industries or the wrong locations; the hypothesis that we’re mainly suffering structural unemployment has been repeatedly shot down by evidence. This is a demand-side slump; all we need to do is create more demand.
結局のところ、我々は供給サイドの問題によって苦しんでいるわけではない。労働者に必要なスキルが欠如しているため、あるいは、間違った産業や間違った立地にはまり込んでしまったために失業率が高いわけではない。我々が、主として構造的な失業に苦しんでいるという仮説は、証拠によって繰り返し反駁されてきた。これは需要サイドの景気後退である。我々がしなければならないのは、もっと多くの需要を作り出すことだけだ。

So why is this slump, like most slumps following financial crises, so protracted? Because the usual tools for pumping up demand have reached their limits. Normally we respond to demand-side slumps by cutting short-term nominal interest rates, which the Fed can move through open-market operations. But we now have severely depressed private demand thanks to the housing bust and the overhang of consumer debt, so even a zero rate isn’t low enough.
それなら、なぜ、現在の景気後退は、金融危機に続くほとんどの景気後退と同じように、こんなに長引いたものになっているのか? それは需要を押し上げるためのいつもの道具が限界に達しているからである。通常では、我々は需要サイドの不況に、FRBが公開市場操作で動かすことのできる、短期の名目利子率を引き下げることによって対応する。だが、現在、住宅バブルの破裂と消費者債務の過剰のせいで、民間の需要は、ゼロ金利でさえ十分に低くないほど、深刻に落ち込んでいる。

So what’s the right response? Should we just throw up our hands, and say that having 12 million or so adults who should be working out of work, and roughly $1 trillion per year of output we should be producing not getting produced, is just a fact of life? Or should we be using unconventional policies to deal with an abnormal situation?
そこで、正しい反応とはなんだろうか? お手上げとあきらめて、働きたくとも仕事がない1200万人以上の成人の数や、生産できたはずなのに、実際には実現できなかった年間およそ1兆ドルもの生産高は、人生の現実にすぎないと言うべきだろうか? それとも、異常な状況に対処するために、非伝統的な政策を使うべきだろうか?

The answer seems obvious. We should be using fiscal stimulus; we should be using unconventional monetary policy, including raising the inflation target; we should be pursuing aggressive measures to reduce mortgage debt. Not doing these things means accepting huge waste and hardship.
その答えは明らかだ。我々は財政刺激策を使うべきである。我々は、インフレ・ターゲットを導入することを含めて、非伝統的な金融政策を使うべきである。我々はモーゲッジ負債残高を減らすために、積極的な手段を追求すべきである。これらの事をしないのは、莫大な無駄と困苦を受け入れることを意味する。

But, say the serious people, there are risks to doing any of these things. Well, life is full of risks. But it’s simply crazy to put a higher weight on the possibility that the invisible bond vigilantes might manifest themselves, or the inflation monster emerge from its secret cave, over the continuing reality of enormous human and economic damage from doing nothing.
だが、これらの事をするのにはリスクがある、とあの誠実な人々は言う。ああ、人生はリスクでいっぱいだ。でも、見えない債券自警団が姿を現すかもしれない、とか、インフレの妖怪が秘密の洞穴から出現してくる可能性を、何もしないことから生じて現実に続いている莫大な人的、経済的損失よりも強く重点を置くのは単にクレイジーだ。

The truth is that we have nothing to fear but fear itself ― fear and complacency ― the two things we have to fear are ― amongst our fears ….
本当のところ、我々は恐れそのものを除いて、恐れるべきものはない―恐れと自己満足―我々が恐れなければならない2つのこと―は我々の恐れの中にある…

Anyway, seriously, the fatalism that has overtaken economic debate is a terrible thing. It is, indeed, the main enemy of prosperity.
いずれにせよ、真面目な話だが、経済の議論を覆っている運命論は恐ろしいものである。それは、実際に、繁栄の主要な敵である。


翻訳の感想:Gregは、Greg Ipのこと。

Yes, There Are Prisons/December 24, 2010, 11:25 AM

Yes, There Are Prisons そう、牢屋は存在する。

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In answer to Scrooge’s question, yes indeed there are. And lots and lost of prisoners.
スクルージの疑問に答えて、ああ、確かに存在する。そして、出たり入ったりするたくさんの囚人も。

Mike Konczal has an interesting post showing that there’s a quite strong correlation between conservative economic policies and large prison populations:
Mike Konczalが、保守的な経済政策と人口に占める囚人の多さには非常に強い相関があるという興味深い記事を書いている:

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I’ll have to think about exactly what’s going on here. But the discussion brings to mind something I ponder on now and then: what happened to the inevitable collapse of American society?
私は、そこで、正確には何が起こっているのか考えなければならない。でも、この議論は時々私が考え込んでしまうことを思い起こさせる。つまり、避けられないアメリカ社会の崩壊に何が起こったのか?

All through the 70s and 80s, and some way into the 90s, it was almost a given that all of America ― or at least all of our central cities ― would turn into something like the South Bronx, or worse. It was practically a cliche of popular culture; it was also a theme propounded solemnly and at great length by writers like Gertrude Himmelfarb, who insisted that only a return to traditional moral values could arrest our decline.
70年代と80年代を通してずっと、90年代に至るまで、アメリカのすべてが―少なくとも、中心都市のすべて―サウス・ブロンクスのような、あるいはもっと酷い状態になるというのは、ほぼ確実と思われていた。それは特に大衆文化の中で決まり文句だった。それはガートルード・フィンメルファルブのような書き手によって、強い影響力を持って、厳格に提示されたテーマだった。彼女は伝統的な道徳の価値観に戻ることだけが、我々が転落するのを防ぐことができると主張した。

And then a funny thing happened. Values continued to shift: we kept on having premarital sex and getting divorces, gay and lesbian couples went out in public, relatively few Americans went to church (although a larger number claimed that they went.) Yet crime declined sharply, big cities (New York in particular) became safer than they had been in many decades, and in general society seemed to hold together.
そして、それから奇妙なことが起こった。価値観は移り続けた:我々の社会において、婚前セックスや離婚をする人はいるし、ゲイやレズビアンのカップルは一般的になっていった。相対的には、ほとんどのアメリカ人が教会に行かない(多くのアメリカ人が口では行くと言うんだが)。犯罪も急激に減少した。大都市(特にニューヨーク)は過去数十年に比べて安全になっている。そして、一般的には、社会にまとまりがあるように感じられる。

I don’t think we really know why all that happened. But the failure of dystopia to appear on schedule is one of the remarkable good things about modern America.
一体、何が起こったのか、我々が本当に知っているとは思わない。だが、ディストピアがスケジュール表に載ることを阻止できたことは、現代のアメリカにとって目覚しいほど良いことの一つである。


翻訳の感想:去年の記事。
Scroogeは、チャールズ・ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』の登場人物。

China’s Water Pistol/March 15, 2010, 9:00 AM

China’s Water Pistol 中国の水鉄砲

Dean Baker gets upset by this line in today’s very useful Keith Bradsher article:
ディーン・ベイカーが、今日のキース・ブラッドシャーの有益な記事の中に、次の一文を見つけて驚いている:

China is the biggest buyer of Treasury bonds at a time when the United States has record budget deficits and needs China to keep buying those bonds to finance American debt.
現在、中国はアメリカ国債の最大の買い手であり、アメリカが記録的な財政赤字を計上している中で、中国がアメリカ国債を買い続けることによって、アメリカは借金をやりくりできている。


As I said, this was a very good article about China; the debt line was probably inserted because it’s considered obligatory to say this in any article about US-China relations. As it happens, however, while it’s part of what everyone knows, it’s also completely false.
私が言ったように、これは中国についてのすばらしい記事である。この借金に関しての文は、おそらく、アメリカと中国の関係についての記事では言及する義務があると考えられているため挿入されたものだろう。しかしながら、それは、全ての人が知っていると思っていることでありながら、完全に間違っている。

Why don’t people get this? Part of the answer is that it’s really hard for non-economists ? and many economists, too! ? to wrap their minds around the Alice-through-the-looking-glass nature of economics when you’re in a liquidity trap. Even if they’ve heard of the paradox of thrift, they don’t get the extent to which we’re living in a world where more savings ? including savings supplied to your economy from outside ? are a bad thing.
なぜ、人々はそれが分からないのか? 答えの一部は、流動性の罠にいる時に、経済学の本質である「鏡の国のアリス」性を思考の中に取り込むことは非経済学者だけではなく―多くの経済学者にとっても!―非常に難しいものであるからだ。たとえ、節約のパラドクスを聞いたことがあったとしても、より多く貯蓄をすることが―外部からもたらされる貯蓄も含めて―悪いことであるような考えを、我々が住んでいる現実の世界にまで拡張することができない。

Also, and I think harder to forgive, is the way many commentators seem oblivious to how we got here. Yes, we have large budget deficits ? but those deficits have arisen mainly as the flip side of a collapse in private spending and borrowing. Here’s what net borrowing by the US private and public sectors looks like in the Fed’s flow of funds report:
また、私がもっと許しがたいのは、多くのコメンテーターが、どのようにして我が国がこんなことになったのか忘れているように思えることだ。そう、我が国には巨額の財政赤字がある―だが、その赤字は、大部分、民間の支出と借り入れが崩壊したことの反面として増加したものだ。これが、アメリカにおける民間と公共の純借り入れ高がどのぐらいかを示すFRBによる資金循環レポートだ:

flow_of_funds.png
Federal Reserve Board of Governors
連邦準備制度理事会

The US private sector has gone from being a huge net borrower to being a net lender; meanwhile, government borrowing has surged, but not enough to offset the private plunge. As a nation, our dependence on foreign loans is way down; the surging deficit is, in effect, being domestically financed.
アメリカの民間部門は、差し引きで見て、巨額の借り手から貸し手になっている。その間、政府の借り入れは急増しているが、民間による借り入れの減少を相殺するほどではない。一国として、我が国が、外国のローンに依存する程度は非常に低い。実際、急増する財政赤字は、国内の資金で調達されている。

The bottom line in all this is that we don’t need the Chinese to keep interest rates down. If they decide to pull back, what they’re basically doing is selling dollars and buying other currencies ? and that’s actually an expansionary policy for the United States, just as selling shekels and buying other currencies was an expansionary policy for Israel (it doesn’t matter who does it!).
これら全ての結論としては、我々は利子率を低く抑えるために中国を必要としていないということだ。もし、彼らが資金を引き上げれば、彼らが基本的に行うようになることは、ドルを売り、他の外国通貨を買うことだ―そして、それは、実際にアメリカの景気を拡大させる。シケルを売り、他の通貨を買うことがイスラエルの景気を拡大させるのと同じように(誰がそれをするかは問題ではない!)。

As Dean nicely puts it, “China has an unloaded water pistol pointed at our heads.” Actually, it’s even better: China can, if it chooses, throw some cold water on us ? but it’s a hot day, and we would actually enjoy it.
ディーンはうまいことを言う、「中国は本物の銃ではなく、水鉄砲を我々の頭に向けている。」実際には、それはいっそう良いものだ:中国はやろうと思えば、冷たい水を我々にかけることができるんじゃないか?―でも、今は暑い日だ、それは実際に愉快なものになるだろう。


翻訳の感想:古い日付のものですが、最近、クルーグマンが読んでおくことを推奨している記事の一つです。ここ

Free To Lose/June 12, 2011, 3:09 PM

Free To Lose 失敗するための自由

Matt Yglesias is having fun with a study from the Mercatus Center (pdf) purporting to rank states by their levels of freedom. I was disappointed to discover that New Jersey is only the second most tyrannical regime, behind New York.
マット・イグレシアスが、自由さの度合いによって州をランク付けしているマーカタス・センターの研究を面白がっている。私は、ニュー・ジャージー州がニューヨークに次いで2番目に専制君主的な制度の州であることを知ってがっかりした。

One of Matt’s readers does the correlations, and finds that
マットの読者の一人が相関を取って、見出したのがこれ

The Mercatus Institute’s freedom score was significantly linked to (by state)- lower educational attainment (measured by percent of Bachelor degrees or higher), lower population density, lower per capita GDP, increased infant mortality, increased accident mortality, increased incidence of suicide, increased firearm mortality, decreased industrial R&D, and increased income inequality.
マーカタス研究所による自由の点数に、著しくつながりが深いもの(州ごとに)―低い教育達成度(学士号を持っている人の割合の多さによって測られる)、低い人口密度、低い一人当たりのGDP、幼児死亡率の多さ、事故死する人の多さ、自殺の多さ、重火器による死者の多さ、産業研究開発費の減少、そして所得不平等の増大。


This suggests that New Hampshire, which Mercatus considers the freest state (with South Dakota just behind) has its state motto slightly off. It should be “Live free and die.”
これを見ると、マーカタスがもっとも自由な州として考えているニュー・ハンプシャー州(サウス・ダコタ州がわずかの差で2番目につけている)は、州の標語をちょっと変えたほうがよさそうだ。それは「我に自由を、そして死を」にすべきだ。

All this reminds me of a piece I wrote way back when about those who denigrate urban, blue-state Americans as not being part of the “real America”; maybe not, but by most social measures, the blue states actually look pretty good ― and they heavily subsidize those real Americans.
このことで思い出すのは、都市部に住む民主党よりのアメリカ人は「真のアメリカ」の一部ではないと誹謗する人々について、かつて私が書いた文章のことだ。たぶんそれは間違っている、ほとんどの社会的な測度において、民主党が強い州は、事実として非常にすばらしいものである―そして、それらの州は真のアメリカ人に膨大な助成金を払っている。

Also, I was struck, in the comments on my UBS piece, by one reference to the “squalor” of New York. How very 1975! Yes, there are lots of bad neighborhoods. But try visiting the Upper West Side on a nice day; if this be squalor, let’s have more of it.
それと、私のUBSの記事へのコメントでショックを受けたのが、ニューヨークの「汚さ」について言及している人がいたことだ。1975年かよ! ああ、荒れた界隈もたくさんある。でも、天気のいい日にアッパー・ウエスト・サイドに行ってみな。もし汚さがあったら、教えてくれ。


翻訳の感想:“Live free and die.”は、“Live free or die.”(我に自由を、さもなくば死を)を「ちょっと」変えたもの。

Thoughts on Voodoo/June 11, 2011, 9:17 AM

Thoughts on Voodoo ヴードゥーについて考える

With Tim Pawlenty ― who was supposed to be a sensible Republican ― going all-in for high voodoo, I thought it’s worth pointing out that at the moment there’s a pretty good case that there is a kind of Laffer curve in which more is less and less is more. Namely, there’s a good case that fiscal stimulus right now would actually improve the long-run fiscal situation, while fiscal austerity makes it worse.
ティム・ポーレンティー―分別のある共和党員と認識されている―が、さらにヴードゥーに向かっている。そこで今、ラッファー・カーブのような、大きいことは小さいことで、小さいことは大きいことになる、すごく良い例があることを示しておくことには意味があると私は考えた。すなわち、今現在は、財政刺激策が実際に長期的な財政状況を改善する一方、財政厳格主義はさらにそれを悪くするようなケースである。

Here’s a repost of part of a post from last year. I’d note that the numbers are even more favorable now, with the real interest rate on 10-year bonds just 0.79 percent as of yesterday.
ここで、去年の記事の一部を再投稿しておく。その数字は今のほうがもっと好都合なもの、10年物国債の実質利子率は昨日の時点でちょうど0.79%になっていることを指摘しておく。

So here goes:
ここから始める:

Self-defeating Austerity
自滅する財政厳格主義

There’s a quite good case to be made that austerity in the face of a depressed economy is, literally, a false economy ― that it actually makes long-run budget problems worse.
経済が落ち込んでいる中での財政厳格主義は、文字通り、見かけだけの節約と言うことができる―それは、実際には長期の予算問題を悪化させる。

People like me have been hesitant to make this argument loudly, for fear of being cast as the left equivalent of Arthur Laffer ― but the heck with it, I’m going to lay it out.
私のような人々は、左派のアーサー・ラッファーに当たる人物と見られるのを恐れて、この議論を声高に言うのを躊躇する―だが、かまうものか、私がそれを提示しよう。

So here’s the outline. Suppose you slash spending equal to 1 percent of GDP. That looks like a budget saving, right? But if you do it in the face of an economy up against the zero bound, so that the Fed can’t offset the demand effects with lower rates, it’s going to shrink the economy. Let me use a multiplier of 1.4; you can adjust the numbers as you wish.
その概要はこんな感じだ。GDPの1%に当たる支出をカットすると想定しよう。これは予算の節約のように見えるけど、本当だろうか? だが、経済がゼロ下限の利子率に直面している時にそれをすれば、FRBは金利を下げることで需要の影響を相殺できないから、経済は縮小してしまう。乗数は1.4だとするが、その数字は好きなように調節してもよい

Now, a weaker economy means less revenue. Assume that every dollar up or down in GDP means $0.25 in revenue, which is conservative. Then the fiscal austerity reduces revenue by 0.35 percent of GDP; the true saving is only 0.65 percent.
今、弱体化する経済は少ない歳入を意味する。GDPが1ドル上下するごとに、歳入は0.25ドル上下すると仮定するが、これは保守的であると言える。その時、財政厳格主義はGDPの0.35%に当たる歳入を減らす。それゆえ、本当に節約できたのは、たった0.65%だけだ。

Now, the government has to borrow those funds; let’s say the real interest rate is 3 percent (it’s actually much lower now). Then the long run impact of the austerity on the fiscal position is to reduce real interest payments by 0.0195 percent of GDP.
今、政府は資金を借り入れしないといけない。実質利子率は3%だとする(現時点での実質利子率はもっと低い)。その時、厳格主義が財政状況に与える長期の影響は、GDPの0.0195%だけ実質的な利子の支払いを減らすことになる。

But wait: what if there are long-run negative effects of a deeper slump on the economy? The WSJ piece showed one example: workers driven permanently out of the labor force. There’s also the negative effect of a depressed economy on business investment. There’s the waste of talent because young people have their lifetime careers derailed. And so on. And here’s the thing: if the economy is weaker in the long run, this means less revenue, which offsets any savings from the initial austerity.
でも、待ってほしい:長期において、経済が落ち込むことによるネガティブな効果がある場合にはどうなるのか? ウォール・ストリート・ジャーナルの記事は一つの例を示している。すなわち、労働者が永続的に労働力から阻害されてしまう。ビジネス投資にも、経済が落ち込むことによるネガディブな効果がある。彼らが人生のキャリアから脱落することにより、その能力を無駄にしてしまう。まだ続きがある。こんな感じのことが:もし、経済が長期的に弱体化すれば、歳入は減ってしまい、当初の財政厳格主義によって節約した効果が打ち消されてしまう。

How big do these negative effects have to be to turn austerity into a net negative for the budget? Not very big. In my example, the real interest payments saved by a 1 percent of GDP austerity move are less than .02 percent of GDP; if the marginal tax effect of GDP is 0.25, that means that a reduction of future GDP by .08 percent is enough to swamp the alleged fiscal benefits. It’s not at all hard to imagine that happening.
このネガティブな効果がどれだけ大きければ、財政厳格主義が差し引きで、予算にマイナスの影響を与えるようになるのか? そんなに大きいものではない。私の示した例では、GDPの1%の厳格主義で節約される実質的な利子の支払いは、GDPの0.02%以下だった。
もし、GDPの限界税効果が0.25だとすると、0.08%だけ将来のGDPが減少すれば、脆弱な財政的利益を台無しにするのに十分だ。それは起こるのを想像するのがそれほど難しいわけではない。


In short, there’s a very good case to be made that austerity now isn’t just a bad idea because of its impact on the economy and the unemployed; it may well fail even at the task of helping the budget balance.
要するに、財政厳格主義は、それが経済や失業者に与える影響のためだけに悪い考えなのではない。それは、財政収支を支える役目ですら失敗するかもしれないのだ。

It’s important to realize that I’m not saying that government spending always pays for itself, and that saving money is always counterproductive. These kinds of effects are specific to a liquidity trap situation. But that’s the situation we’re in.
私が、政府の支出は常にためになり、お金を節約することが常に非生産的だと言っているわけではないことを理解するのは重要だ。これらの効果は、流動性の罠の状況に特有のものだ。でも、それは我々が現在いる状況である。

Pawlenty Wants To Abolish the Army/June 7, 2011, 3:25 PM

Pawlenty Wants To Abolish the Army ポーレンティーが軍の廃止を求める

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OK, he didn’t exactly say that. But here’s what he did say:
OK、それは実際に彼が言ったことじゃない。でも彼はこんなことを言っている:

Republican presidential hopeful Tim Pawlenty laid out an economic vision for America on Tuesday that would cut taxes and dramatically reduce the size and scope of government operations.
有望な共和党の大統領候補ティム・ポーレンティーが、火曜日、税金を削減し、政府活動のサイズと範囲を大幅に減らすという経済のビジョンを提示した。

Among his more novel ideas: If you can find it on Google, the government shouldn’t be doing it.
彼のもっと有名なアイデアとは:グーグルで探せるようなものなら、政府はそれをすべきでないというもの。

“We can start by applying what I call ‘The Google Test.’ If you can find a good or service on the Internet, then the federal government probably doesn’t need to be doing it,” Pawlenty said.
「私がグーグル・テストと呼んでいる手法を使うことによって、出発点とすることができる。もしあなたが、インターネットで商品やサービスを見つけることができるなら、合衆国政府は、たぶんそれをする必要はない。」と、ポーレンティーは言う。

Among the services he would cut: Amtrak, the U.S. Postal Service, Fannie Mae and Freddie Mac and the Government Printing Office.
彼が打ち切ろうとするサービスとは:アムトラック、アメリカ合衆国郵便公社、ファニーメイとフレディーマックそして合衆国政府印刷局。

Pawlenty said those organizations “were all built for a time in our country when the private sector did not adequately provide those products. That’s no longer the case.”
ポーレンティーが言うには、それらの組織は「すべて、我が国の民間部門が、まだ十分にそれらの生産物を供給できなかった時代に作られたものだが、もはやそんな時代ではない。」

Interpreted broadly, the test could spell the end of federal involvement in the storage of nuclear waste, environmental clean-up efforts and disaster relief ― all services that a Google search reveals are offered by private sector firms.
広く解釈すれば、そのテストは核廃棄物の貯蔵、環境浄化活動、災害救助への政府の関与を終わらせることにもなる可能性もある―グーグル検索で表示してくれるすべてのサービスは、民間部門の企業によって取って代わられる。



But it took me only a few seconds on Google to find www.privatemilitary.org. Hey, the Army, the Navy and all that were built for a time when the private sector did not provide their products. But now we can just hire mercenaries!
でも、私がグーグルで、民間軍事会社の総合サイトを見つけるのには、たった数秒しかかからなかった。陸軍、海軍その他もろもろは、民間部門がそれらの生産物を供給していない時代に設立された。だが、我々は今すぐに金目当ての傭兵を雇うことができる!

Best comment so far: I can also use Google to find much better Presidential candidates than Tim Pawlenty.
最高のコメント:私もグーグルを使って、ティム・ポーレンティーよりずっとましな大統領候補を見つけることができます。

Reposted: Sam, Janet, and Debt/June 8, 2011, 11:22 AM

Reposted: Sam, Janet, and Debt 再投稿:サム、ジャネット、そして借金

In the discussion of Richard Koo, I’m seeing a number of people asserting (a) debt can’t be the solution to debt (b) inflation can’t possibly be helpful. I guess that’s the problem with blogging: even if you explain your position clearly, after a few months people enter the discussion without knowing about or having forgotten the earlier discussion.
リチャード・クーとの議論に関連して、 多くの人が、(a)借金は借金に対する解決策にはならない(b)インフレは役に立たないかもしれない、と想定しているのを見てきた。私はこれがブログの問題だと思う。その立場をはっきりと説明しても、数ヶ月もたつと、以前の議論を知らなかったり、忘れてしまっている人々が議論に参加してくる。

So let me repost in its entirety my take on the balance-sheet recession issue. There’s a more formal treatment of the ideas, plus a bunch of further results, in my work with Gauti Eggertsson.
だから、バランスシート不況の問題に関する私の認識を、そっくりそのまま再投稿させてほしい。ガウティ・エガートソンと私との共同の論文では、この概念をもっと正式な形で扱っているし、一連の更なる結果も提示している。

The original post:
元の投稿:

Sam, Janet, and Fiscal Policy
サム、ジャネット、そして財政政策

One of the common arguments against fiscal policy in the current situation – one that sounds sensible – is that debt is the problem, so how can debt be the solution? Households borrowed too much; now you want the government to borrow even more?
現在の状況において、財政政策に反対する一般的な議論の一つ―分別あるように見られている―が、借金こそが問題であるのに、どうすれば借金が解決策になると言うのか?というものだ。家計はあまりにも借金をし過ぎた。今、あなたは政府がさらに借金を増やすことを望むのか?

What’s wrong with that argument? It assumes, implicitly, that debt is debt – that it doesn’t matter who owes the money. Yet that can’t be right; if it were, we wouldn’t have a problem in the first place. After all, to a first approximation debt is money we owe to ourselves – yes, the US has debt to China etc., but that’s not at the heart of the problem. Ignoring the foreign component, or looking at the world as a whole, the overall level of debt makes no difference to aggregate net worth – one person’s liability is another person’s asset.
この議論の何が間違っているのか? それは暗黙に、借金は借金だ、その金を誰が負担するのかは重要ではないと仮定している。でも、それは正しくない。それが正しいなら、初めから問題にならなかっただろう。結局のところ、第一近似では、借金とは我々が自身で負うものだ―そう、アメリカは中国に借金をしている等。だが、それは問題の核心ではない。外国の要素を無視すれば、あるいは、世界を全体として見れば、借金の全般的な水準は、集計された純資産に違いをもたらさない―ある個人にとっての負債は、別の個人にとっての資産になる。

It follows that the level of debt matters only if the distribution of net worth matters, if highly indebted players face different constraints from players with low debt. And this means that all debt isn’t created equal – which is why borrowing by some actors now can help cure problems created by excess borrowing by other actors in the past.
それは、借金の水準が重要になるのは、純資産の分配が重要になる時、非常に重い債務を負ったプレイヤーが、低い債務のプレイヤーからの種々の制約に直面する時だということだ。そして、そのことは、全ての借金は平等に作られているわけではないということを意味する―そういう訳で、今、ある主体が借金をすることは、過去に借金をし過ぎた主体によって生じる問題を治療するのに役立つことができる。

To see my point, imagine first a world in which there are only two kinds of people: Spendthrift Sams and Judicious Janets. (Sam and Janet who? If you’d grown up in my place and time, you’d know the answer: Sam and Janet evening / You will see a stranger … But actually, I’m thinking of the two kinds of agent in the Kiyotaki-Moore model.)
要点を抑えるために、まず、たった2種類の人々のみから成る世界を想像してほしい。浪費家のサムと倹約家のジャネットだ。(サムとかジャネットとか誰かって? 私と同じような時代と場所で育った人なら、答えを知っているんだが:今宵サムとジャネットが/あなたは一人の人と出会うかもしれない♪… ところで、実際には、私は清滝-ムーア・モデルの中で、この2種類のエージェントを考えている。)

In this world, we’ll assume that no real investment is possible, so that loans are made only to finance consumption in excess of income. Specifically, in the past the Sams have borrowed from the Janets to pay for consumption. But now something has happened – say, the collapse of a land bubble – that has forced the Sams to stop borrowing, and indeed to pay down their debt.
この世界の中では、実質的な投資は存在しないと仮定する。だから、ローンは所得を超える消費の資金を調達するためにのみ存在する。具体的に言えば、過去にサムはジャネットから消費の支払いのために借り入れをしているとする。だが、今、なにかが起こって、例えば、土地バブルが破裂したとして、サムが借金することができなくなり、それどころか、借金を返済しないといけなくなったとしよう。

For the Sams to do this, of course, the Janets must be prepared to dissave, to run down their assets. What would give them an incentive to do this? The answer is a fall in interest rates. So the normal way the economy would cope with the balance sheet problems of the Sams is through a period of low rates.
サムがこれをするためには、当然、ジャネットの貯蓄が取り崩されなければならず、その資産は縮小する。何が、これをさせるためのインセンティブを与えるのか? 答えは利子率の下落だ。そうすれば、通常では、低い利子率の期間を経ることで、経済はサムのバランスシート問題を収拾するだろう。

But – you probably guessed where I’m going – what if even a zero rate isn’t low enough; that is, low enough to induce enough dissaving on the part of the Janets to match the savings of the Sams? Then we have a problem. I haven’t specified the underlying macroeconomic model, but it seems safe to say that we’d be looking at a depressed real economy and deflationary pressures. And this will be destructive; not only will output be below potential, but depressed incomes and deflation will make it harder for the Sams to pay down their debt.
だが―もう、これから言うことが予想できているかもしれない―たとえゼロ金利であったとしても十分に低い利子率、すなわち、サムが貯蓄しようとする分に見合うように、ジャネットの側が貯蓄を取り崩させるほどに十分低い利子率でなかったとしたら? その時には問題が生じる。私は根底にあるマクロ経済学モデルを特定していないが、それが、落ち込んだ実質経済やデフレ圧力を意味するのは確実だ。これは破壊的なものになる。生産高が潜在能力以下になるだけでなく、所得の下落とデフレは、サムが借金を返すことをもっと困難にするから。

What can be done? One answer is inflation, if you can get it, which will do two things: it will make it possible to have a negative real interest rate, and it will in itself erode the debt of the Sams. Yes, that will in a way be rewarding their past excesses – but economics is not a morality play.
何ができるだろうか? 一つの答えはインフレだ。インフレになれば、二つの効果がある。負の実質利子率が可能になるし、インフレ自身によりサムの借金が目減りする。そうだ、それは、ある意味で過去のいきすぎを褒賞することになる―でも、経済学は道徳劇ではない。

Oh, and just to go back for a moment to my point about debt not being all the same: yes, inflation erodes the assets of the Janets at the same time, and by the same amount, as it erodes the debt of the Sams. But the Sams are balance-sheet constrained, while the Janets aren’t, so this is a net positive for aggregate demand.
ああ、今一度、借金はすべて同じではないという私の論点に戻るために:そうだ、インフレがジャネットの資産を目減りさせる時、同じ額だけ、サムの借金を目減りさせる。だが、バランスシート制約にあるのはサムであり、ジャネットはそうではない。だから、このことは、総需要にネットでプラスの効果がある。

But what if inflation can’t or won’t be delivered?
だけど、もしインフレが起こらないし、起こせないならどうか?

Well, suppose a third character can come in: Government Gus. Suppose that he can borrow for a while, using the borrowed money to buy useful things like rail tunnels under the Hudson. The true social cost of these things will be very low, because he’ll be putting resources that would otherwise be unemployed to work. And he’ll also make it easier for the Sams to pay down their debt; if he keeps it up long enough, he can bring them to the point where they’re no longer so severely balance-sheet constrained, and further deficit spending is no longer required to achieve full employment.
うん、3人目の登場人物を仮定してほしい。政府のガス君だ。彼は一定の期間、借り入れをすることができて、そのお金をハドソン川の下にある鉄道トンネルのような有益なものを買うために使用する。これらに掛かる真の社会的コストは非常に低い。なぜなら、彼は、それをしなかったとすれば、失業者になっていた資源を労働者として活用するから。そして、彼は、サムが借金を返すのをもっと容易にもする。つまり、彼が十分に長くそれを続ければ、彼らは厳格なバランスシート制約から抜け出すことができ、完全雇用を達成するための、さらなる赤字支出が必要ないところまで達することができるだろう。

Yes, private debt will in part have been replaced by public debt – but the point is that debt will have been shifted away from severely balance-sheet-constrained players, so that the economy’s problems will have been reduced even if the overall level of debt hasn’t fallen.
そう、民間の借金が、部分的に政府の借金で置き換えられることになる―だが、重要なのは、借金が厳格なバランスシート制約にあるプレイヤーから移されることになることだ。そうであるなら、全般的な借金の水準は下がらないとしても、経済的な問題は小さくなる。

The bottom line, then, is that the plausible-sounding argument that debt can’t cure debt is just wrong. On the contrary, it can – and the alternative is a prolonged period of economic weakness that actually makes the debt problem harder to resolve.
結論としては、借金で借金の問題を解決することはできないという、一見もっともらしく聞こえる議論は完全に間違いだということだ。反対に、それは可能である―そして代替案は、経済的弱体化を長引かせることになり、事実として、借金の問題を解決するのをもっと困難にする。


翻訳の感想:Sam and Janetは、「Some enchanted evening」という曲のタイトルと「Sam and Janet evening」の発音が同じとこからくるジョーク(?)のこと。

Who Are The Rentiers?/June 7, 2011, 5:36 PM

Who Are The Rentiers? 利子生活者とは誰なのか?

Following up on my rentier post and the eurocentric followup, a question: who are we talking about? That is, who stands to gain from deflation, and lose if inflation is, say, 4 percent over a period of 10 years? Is it little old ladies living on fixed incomes, and salt of the earth workers who have scrimped and saved?
私の利子生活者についての記事とヨーロッパ中心主義についての記事の付け足し。疑問:誰について語っているのか? すなわち、デフレから利益を得るのは誰なのか? そして、例えば、10年にわたる4%のインフレで損をするのは誰なのか? 固定所得を生活の糧にする老婦人はほとんどいないし、倹約と貯蓄を行う模範となるような労働者もほとんどいない。

Well, no. There are, of course, some ordinary people who would lose a bit from higher inflation. But Social Security ― the bedrock of retirement for most Americans ― is indexed to inflation, and retirement accounts invested in stocks wouldn’t be hurt.
いや、そうじゃない。もちろん、高めのインフレによって、ちょっと損する一般庶民も存在する。だが社会保障―ほとんどのアメリカ人にとって退職後の基盤となる―は、インフレに連動する。そして、株に投資されている退職勘定も損害を受けない。

If you want to see who really has a stake in the inflation dispute, go to Edward Wolff’s latest on the American wealth distribution (pdf). Here’s the takeaway:
もし、誰がインフレ論争の中で、利害関係を持っているか知りたければ、最近のエドワード・ウルフによる「アメリカにおける富の分配」という論文を見ればよい。これが重要な所:

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Holdings of assets, by wealth class, 2007
有産階級によって所有されている資産、2007年

Financial securities are overwhelmingly held by the rich ― more than 60 percent by just one percent of the population, more than 98 percent by the top 10 percent. It’s true that middle-class Americans own significant shares of deposits, and that some part of their pension accounts would be in bonds. On the other hand, middle-class Americans owe the lion’s share of debt; relatively speaking, the wealthy have hardly any.
有価証券は、圧倒的に金持ちによって所有されている。人口のたった1%が60%以上を所有し、トップ10%が98%以上を所有する。中流階級のアメリカ人が、預貯金の重大なシェアを占めているのは事実だ。そして彼らの年金勘定の内いくらかは債券で運用されるだろう。他方では、中流階級のアメリカ人は、借入金のもっとも大きい割合を負っている。相対的に見れば、裕福な人々の借入金はほとんどない。

So if you think about the distributional consequences of the choice between a Japan-style lost decade of very low or negative inflation and a Mankiw-Rogoff strategy of higher inflation for a while, it’s very much about benefits to the wealthy versus benefits to the middle class. Since I’ve been arguing that some inflation would help the economy recover, what we’re seeing in practice is that defending the interests of a small wealthy slice of the population takes priority over a possible recovery strategy.
そこで、非常に低いインフレもしくは負のインフレである日本型の失われた十年と、マンキュー-ロゴフ型の一定期間における高インフレ戦略とがもたらす分配面における帰結を考えれば、それは、まったくもって、金持ちの利益対中流階級の利益ついてのものである。ある種のインフレは経済回復の手助けになると私が論じてきて、実際、目にしてきたのは、人口の中でほんのわずかな部分を占める金持ちの利益を守ることが、実行可能な景気回復の戦略よりも高い優先権が与えられているということである。

Richard Koo Is Unhappy With Me/June 7, 2011, 9:01 PM

Richard Koo Is Unhappy With Me リチャード・クーが私に不服

Here.
これ。

But I have to say, he seems to be attacking a straw man named “Paul Krugman” who bears little resemblance to the Princeton economist of the same name. Here’s what I actually said about QE2 :
でも、言わなくちゃならないんだが、彼は「ポール・クルーグマン」という名のわら人形を攻撃しているように思う。そいつは同じ名前を持つプリンストンの経済学者とはほとんど似ていない。これが、実際に私がQE2について語ったこと:

I believe that given the grim economic situation, all players in the game should be trying to do whatever they can. There are other things the Fed can do; they would help; uncertainty about how much they would help shouldn’t be a reason not to try.
経済が悲惨な状況にある時には、ゲーム上のすべてのプレイヤーは、できることをすべてやってみるべきだと私は信じている。FRBができることは他にもある。それらは役に立つはずだ。それらがどれだけ役に立つか分からないというのは、試してみるのをやめる理由にはならない。

But it would be a big mistake to count on monetary policy alone. The zero lower bound on short rates really does matter, even if longer-term rates are positive. The Fed can control short-term interest rates, it can influence long rates ― there’s a world of difference between those two statements. So it’s not safe to assume that the Fed can, for example, hit any target for nominal GDP that it chooses.
だが、金融政策のみに頼るのは大きな間違いだ。たとえ長期金利が正の値であっても、短期金利がゼロ下限に達しているのは、本当に重要である。FRBは短期金利をコントロールすることができる、FRBは長期金利に影響を与えることができる―この2つの文には天地の違いがある。だから例えば、FRBが、どんな名目GDPでも選び出して、ターゲットとして調節できることができると仮定するのは安全なことではない

What that means is that while the Fed should be doing more, so should other actors: unconventional monetary policy should go along with fiscal stimulus. The Fed deserves to be chastised for not doing more; that’s not the same as saying that the Fed should be the only target of criticism.
これが意味するのは、FRBはもっと多くのことをすべきだということだ。そして、他の主体もそうすべきである。つまり、非伝統的な金融政策と財政刺激策とを協力して行うべきだ。FRBがもっと多くのことをしないのは、批判されてしかるべきである。それは、FRBだけが批判のターゲットであるべきということではない。


Meanwhile, Koo seems to think that the decline of the dollar has been a disaster. I have no idea why; parallels with 1987, when the United States was not in a liquidity trap, seem off point. As far as I can see, the modest fall in the dollar has been entirely good news for the US economy.
一方、クーはドルの下落が災厄だと考えているようだ。私にはその理由が分からない。現在のアメリカが、流動性の罠の中にいなかった1987年とパラレルだというのは、ポイントがずれている。私が見る限りでは、ドルが適度に下落することは、アメリカ経済にとって完全に良いニュースである。


翻訳の感想:リンク先とか見ると、リチャード・クーはアメリカでも結構有名になってる感じです。


The Rentier Regime/June 6, 2011, 1:19 PM

The Rentier Regime 利子生活者の治世

Bob Kuttner has a very good column (pdf) in The American Prospect about “debt politics.” Let me elaborate a bit.
ボブ・カットナーがアメリカン・プロスペクト誌で、「借金の政治学」について素晴らしいコラムを書いている。ちょっと私に説明させてほしい。

If you look at the economic policy demands coming from the right in the face of our current slump, they seem remarkably insensitive to the fact that we are indeed in a slump. Early on, some conservatives called for the use of monetary rather than fiscal policy to stimulate the economy ― and you had the likes of Greg Mankiw and Ken Rogoff calling for a period of above-normal inflation. But they were shouted down, and these days the right demands not just fiscal austerity (albeit without any rise in taxes), but hard money too. Modern monetarists like Scott Sumner find themselves without a political home.
現在の経済的苦境に直面して、右派から来る経済政策の要求を見れば、我々が実際に苦境にいるという事実に、彼らが驚くほど鈍感なことが分かるだろう。初めのころには、経済を刺激するのに財政政策よりも金融政策を要求する保守派の人々がいた―そしてグレッグ・マンキューやケン・ロゴフらのような、一定期間の平常時よりも高いインフレを要求する人々もいた。だが彼らは沈黙してしまった。最近、右派は財政厳格主義(あらゆる増税には反対するが)だけではなく、ハードマネー主義も要求している。スコット・サムナーのような現代のマネタリストは、政治的ふるさとを失ってしまった。

What explains this opposition to any and all attempts to mitigate the economic disaster? I can think of a number of causes, but Kuttner makes a very good point: everything we’re seeing makes sense if you think of the right as representing the interests of rentiers, of creditors who have claims from the past ― bonds, loans, cash ― as opposed to people actually trying to make a living through producing stuff. Deflation is hell for workers and business owners, but it’s heaven for creditors.
なにが、彼らをして経済的災厄を和らげるためのいかなる試みにも反対させるのか? 私にはたくさんの原因が思い浮かぶが、カットナーはとてもよい点をついている。つまり右派が利子生活者、過去からの債権―国債、貸付、現金―を持つ債権者の利益を代表して、実際の生産活動を通して生計を得ようとしている人々に敵対しようとしていると考えれば、全てつじつまが合う。デフレは労働者や企業家にとっては地獄だが、債権者には天国である。

I don’t mean to suggest that it’s all cynical; my experience is that there are relatively few people who consciously keep a secret set of intellectual books, who preach Neanderthal goldbuggism because it’s in their interests while rereading Keynes by dead of night to figure out what’s really happening. Instead, people generally manage to believe whatever is in their interests. And maybe not even that: I suspect that there are a fair number of small business owners who faithfully believed in Glenn Becks’s warnings of hyperinflation by 2010, quite unaware that the intimidation of the Fed has savaged their own bottom lines.
私には、それが完全に皮肉だとは言い切れない。私の経験では、知的な書物を秘かに隠し持っているような人、自らの利益のためにネアンデルタール人式の金本位制を説く一方、夜中にケインズを再読して現実に何が起こっているかを理解しているような人はあまりいない。それよりも、一般的に人々は、自らの利益に沿うものならどんなものでも信じようとするものだ。そしてそれですら違っているかもしれない。つまりかつて2010年までにハイパーインフレが来るというグレン・ベックの警告を心から信じていて、FRBのインフレに対する威嚇が彼らの純利益を損なっていることには全く気づかないような中小企業のオーナーが、たくさんいるのではないかと疑っている。

Still, thinking of what’s happening as the rule of rentiers, who are getting their interests served at the expense of the real economy, helps make sense of the situation.
それでも、今起こっていることが、実体経済を犠牲にして自身の利益を追求しようとする利子生活者の支配によるものとして考えることは、現在の状況を理解する手助けとなる。

The Un-COLA Era/February 1, 2011, 11:33 AM

The Un-COLA Era 非COLA時代

I’m still having fun with the Atlanta Fed’s sticky-price CPI data. These data go back to the late 1960s, and offer an interesting contrast between then and now.
私はアトランタ連邦準備銀行の粘着価格CPIデータを楽しんででいる。このデータは1960年代後期にさかのぼって、その時と今とで興味深い対照があることを示してくれる。

For those just joining this conversation: the idea of core inflation involves making a distinction between prices that fluctuate all the time, and those that are changed only at fairly long intervals, and are therefore set with future inflation in mind. I explained how limited price-setting can cause inflation inertia a while back; the original version of this argument goes back to Ned Phelps, who explained more than 40 years ago (pdf) how staggered wage setting leads to a situation in which actual wage growth depends both on unemployment and on expected future wage growth.
この議論に参加しようという人のために:コアインフレの概念を理解するためには、常に変化する価格と比較的長い間隔を置いて変化するがゆえに、将来のインフレの予想を伴う価格とを区別する必要がある。私は以前、限定的な価格設定がどのようにインフレの慣性を生じさせるか説明した。その議論のオリジナルのバージョンはネッド・フェルプスにさかのぼる。彼は40年以上前に、ねじれた賃金設定により、どのようにして実際の賃金成長率が、失業率と将来の予想賃金成長の両方に依存する状況に至るのかを説明した。

The point here is that there’s an important distinction between the prices of wheat, oil, rubber, etc. that may rise or fall by double-digit amounts over the course of a year, then quickly reverse that rise or fall, and the prices of many services and manufactured goods ― and most wages ― which are set for periods of months or years. The latter are slow to develop inflation, but also slow to give it up, which is why policy should focus on whether those prices have started to rise too fast (or too slowly).
ここでのポイントは、小麦、石油、天然ゴムその他の価格のような一年の間に2桁も上下して、それからまた逆向きに上下するかもしれない価格と、多くのサービスや工業製品―ほとんどの賃金も―のような数ヶ月あるいは数年感覚で決まる価格を区別することが重要だと言うことだ。後者はゆっくりとインフレをもたらすが、収まるのもまたゆっくりである。そのことは、これらの価格の上昇するスピードがあまりにも速くなりすぎているか(あるいは遅すぎるか)という事に政策の焦点を当てるべきだと示している。

The question, however, is whether changes in the flexible-price goods feed into persistent inflation in the core. Phelps thought not: he believed that wages were set mainly in reference to other wages, implying that swings in oil or wheat prices were largely irrelevant to the story. I’d agree: if we think of wages as the ultimate core price, I don’t see any mechanism in today’s America whereby rising commodity prices translate into higher wage contracts.
しかし疑問なのは、伸縮的な商品価格の変化が、永続的なコアインフレの変化に結びつくかどうかという事だ。フェルプスはそう考えなかった。つまり彼は、賃金は主に他の賃金を参照して決まるものと考えた。それは石油や小麦の価格の変動には当てはまらない。私はその意見に賛成だ。賃金を究極のコア価格と考えれば、私は今日のアメリカに、商品価格の上昇が高給の賃金契約に転ずるようないかなるメカニズムも見出せない。

But what does the historical record say? It depends on which era you’re looking at.
しかし歴史的な記録から見ればどうだろうか? それはあなたがどの時代を見るかによる

From the Atlanta Fed data:
アトランタ連邦準備銀行のデータから:

un70s.jpg

The two big commodity price shocks of the 70s did, in fact, feed quickly into core inflation. Since then, however, nada.
70年代に生じた二つの大きい商品価格ショックは、実際速やかにコアインフレに転じた。しかしそのとき以来それは起こっていない。

Why the difference? The obvious point is that back in the 70s many labor contracts included cost of living adjustments (COLAs). This in turn partly reflected stronger worker bargaining positions and also real doubts about whether monetary policy would contain inflation. Today, none of that: COLAs are rare, and commodity-price fluctuations don’t feed into wages at all.
なぜこんな違いがあるのか? 明白な点として、70年代には多くの労働契約が生計費コスト調整分(COLAs)を含んでいた。これは、部分的には、当時強い労働者側の売り手市場であったことと、また金融政策がインフレを抑えることができるかについてかなり疑念があったことを反映している。今日ではそれはない。つまりCOLAはほとんどなくなったし、商品価格の変動が賃金に転ずることはまったくない。

I know there’s a school of thought that believes that the 1970s are coming back any day now. But I haven’t seen any sign of the return of bell-bottom pants, actually good Hollywood movies, or wage-price spirals.
私は1970年代が今まさに帰ってこようとしていると信じる思想の派閥があることを知っている。だが私にはそれが帰ってくるといういかなる兆しも見えない。ベルボトムのパンツも、いいハリウッド映画も、そして賃金価格のスパイラルも。

The Strength of a Failing Euro (Wonkish)/June 1, 2011, 2:04 pm

The Strength of a Failing Euro (Wonkish) 失敗するユーロの強さ(オタク風)

I’ve gotten a lot of requests — some genuinely curious, some belligerent — about how one can reconcile grim views about the prospects of the eurozone with the strength of the euro against the dollar.
私がたくさん受け取っている質問―本当に好奇心からのものと敵対的なものがある―が、ユーロ圏についての厳しい見解と、ユーロがドルに対して強い事実とをどうすれば折り合いをつけられるのかというものだ。

There really isn’t any contradiction — but to see why, we need to think a bit about what determines exchange rates.
実際のところ、なにも矛盾はない―だが、それがなぜなのかを理解するためには、なにが為替レートを決めるのかについて少し考える必要がある。

For rough-and-ready exchange-rate modeling, I and many others turn to some version of the “anchor model”. This posits that there’s a long-run equilibrium exchange rate that investors believe is appropriate, which is determined by trade flows, purchasing power parity, etc.. In the short run, however, the exchange rate can vary from this long-run equilibrium rate, with the deviation reflecting interest rate differentials. Suppose US interest rates are low compared with eurozone rates; then the dollar will fall relative to the euro until it is far enough below its long-run value that people expect it to rise in future at a rate that provides capital gains offsetting the interest differential.
とりあえず便利な為替レートモデルと言えば、私や多くの人にとって、「アンカーモデル」のいくつかのバージョンになる。これは投資家が妥当だと信じる長期均衡為替レートがあり、それは貿易フロー、購買力平価その他によって決定されると仮定している。しかし短期的には、為替レートは短期金利の違いを反映して、長期均衡レートから逸れて変動しうる。アメリカの金利がユーロ圏のそれと比べて低いとしよう。その時、ドルはユーロに比して、人々がその金利の違いを相殺できるだけのキャピタルゲインを将来得られると予想できる程度にまで、その長期的な価値以下に下落するだろう。

Cognoscenti will recognize this is the essential logic behind Rudi Dornbusch’s classic overshooting analysis (pdf). Super-cognoscenti will know that we really should have an intertemporal framework that includes any effects of short-run developments on the long run. Super-duper cognoscenti know that in practice this won’t make much difference, so the anchor model is pretty good.
通になれば、これがルディー・ドーンブッシュの古典的なオーバーシューティング分析の背後にある本質的な論理であることが分かるだろう。超通になれば、短期的な展開が、長期に与えるあらゆる影響を包含する異時点間のフレームワークを取り入れるべきであることが分かるだろう。超絶な通になると、実際には、それは大きな違いをもたらさないので、アンカーモデルはとてもいいものだと分かるだろう。

But how does this model work if the currency in question is jointly owned by several countries, and some of those countries are in dire straits and might be forced out of the monetary union?
しかし、もしその通貨が様々な国によって共同で所有されているものなら、このモデルは作用するだろうか? そして、それらの国の中でひどい苦境に立たされているものがあり、その金融共同体から除外されるかもしれないならどうなるのか?

My answer is that you should think of the euro-dollar exchange rate as if it were an exchange rate between the solid euro core — Germany, France, and a few others — and the United States. Here the anchor model applies. And the euro is strong because German real interest rates are higher than US rates: the nominal 10-year rates are about the same, but the ECB is expected to be more hawkish on inflation than the Fed.
私の答えは、ユーロ-ドルの為替レートは、まるで堅固なユーロの中核国―ドイツ、フランスとあと少し―とアメリカとの間の為替レートであるかのように考えるべきだということだ。ここでアンカーモデルを適用してみよう。ユーロは強い、なぜならドイツの利子率はアメリカよりも高いから:名目的な10年物国債の利率はほぼ同じだが、ECBはFRBよりもインフレにたいしてもっとタカ派的であると見られている。

So what about the European periphery? Well, those are economies in big trouble — but they also offer very high interest rates. And more to the point, the relevant arbitrage in the foreign exchange market is between bunds and Treasuries; if the euro zone does splinter, the question is what the value of the remaining core will be, and it’s presumably quite high.
それでは、ヨーロッパの周縁国についてはどうか? まあ、これらの国は悲惨な状態だ―だが彼らは一方で非常に高い利子率を提示している。さらに重要な点として、外国為替相場での関連する裁定取引は、ドイツ国債とアメリカ国債との間で行われている。もしユーロ圏が分裂すれば、疑問なのは、残された中核国の価値はどうなるかということだ。そして、たぶんそれは非常に高くなるだろう。

The only situation in which you would expect the troubles of Greece et al to mean a weak euro would be if you expected the ECB to help resolve the problems by pursuing an inflationary policy. There’s actually a pretty good case for doing that — but the Germans would never allow it.
ギリシア等のトラブルが、弱いユーロを意味するようになる唯一の状況は、ECBがインフレ政策を採ることにより、彼らの問題を解決する手助けをすると予想される時だ。実際、それをすることには擁護論がある―だがドイツはそれを決して容認しないだろう。

So the euro is strong even as the euro system, the euro as a project, turns into a train wreck.
だから、たとえユーロシステム、一つのプロジェクトとしてのユーロがボロボロになっていったとしても、ユーロは強いわけだ。

QE2 Disappointment (Wonkish)/April 24, 2011, 9:00 am

QE2 Disappointment (Wonkish) QE2の失望(オタク風)

People have been asking me about this article on the disappointing results of the Fed’s quantitative easing. What I would say is that QE2 has been implemented in such a way that there was no reason to expect a lot of traction on the economy; the only channel through which we might have had large effects was via expectations. And that part mainly happened before the policy actually began.
「FRBによる量的緩和の失望させる結果」という記事について、人々から意見を求められている。私が何か言うとすれば、QE2は経済に強い牽引力を持つことを予想する理由がないように設計されているということだ。それが大きな効果を発揮するための唯一の経路は、期待を通してである。そしてその部分は、主に政策が実際に始まる前に発現する。

What is the Fed actually doing? It isn’t “printing money”; it has been buying long term bonds, paying for them by adding to (interest-paying) bank reserves. In effect, it has been borrowing short and lending long.
実際、FRBは何をしているのか? それは「お金を刷ること」ではない。それは長期国債を購入することであり、その支払いは銀行の準備預金を増やすことによって行われる。結果として、それは短期で借りて、長期で貸していることになる。

As Jim Hamilton explains, the right way to think about this is in terms of the consolidated balance sheet of the Fed and the feds — of the central bank and the Treasury. When you look at it that way, we’re talking about a reduction in the average maturity of the debt held by the public, which should, other things equal, raise the price of long-term debt and hence reduce long-term interest rates.
ジム・ハミルトンが説明しているように、それを正しく考えるためには、Fedとfeds―中央銀行と財務省―のバランスシートを連結する必要がある。その条件で考えると、議論されているのは、公共機関によって保有されている債務の平均残存期間を減らすことについての事だと分かる。他の条件が変わらないとすれば、その事は長期国債の価格を上昇させ、ゆえに長期利子率を引き下げる。

But as Hamilton points out, even as the Fed has been acting to reduce that maturity, the Treasury has been increasing the maturity of its borrowing, to such an extent as to swamp the Fed’s efforts:
だがハミルトンが指摘しているように、たとえFRBがその残存期間を減らすように行動しても、財務省はFRBの努力を台無しにするほど、その借り入れの残存期間を増やしている:

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So we shouldn’t have expected much if any direct effect. (Also, by the way, this is a further answer to those who claim that Qe2 is what has been holding long rates down).
だから、なんらかの直接的な効果があったとしても、多くを期待するべきではなかったということになる(ところで、この事は、QE2が長期金利を押さえ込んでいると主張している人たちへのさらなる答えにもなっている)。

What QE2 might have done — and probably did do for a while — is act as a signal of the Fed’s determination to do whatever is necessary,and maybe of a willingness to accept higher inflation. But this only goes so far, especially with all the political pressure on the Fed and its constant declarations, in the face of that pressure, that it remains as steadfast against inflation as ever.
QE2がしたかもしれない事―そしてたぶんしばらくの間はしていた―は、FRBは必要な事は何でもやり、ことによると高いインフレを受け入れる意思があるというシグナルとして作用する事だ。だが、特にFRBへの政治的圧力と、その圧力に直面して、FRBが従来通りにインフレに対して断固とした姿勢をとることを宣言した事により、たいした効果は持たなかった。

It’s also worth remembering that Joe Gagnon’s proposal called for a much bigger effort, as well as some more explicit efforts to change expectations (and notice that all I said was that it was worth trying, not that it would surely work). So what we’ve had is a much downsized version of the policy, more than offset by other government actions — a lot like the fiscal stimulus. And we’re supposed to be surprised that it proved disappointing?
Joe Gagnonが、期待を変えるためのもっと明示的な努力と同様に、もっと大きな努力を要求する提案をしたことも覚えておく価値がある(そして注意しておくが、私が言いたいのは、それは試してみる価値はあったが、十分な効果を持つようなものではないという事だけだ)。そこで我々が手にしたのは、政府の他の行動―財政刺激策のような―によって相殺される以上であったとしても、大幅に縮小化されたバージョンの政策であった。そしてそれが失望させるような結果である事が分かって、なにか驚くようなことがあるのだろうか?


翻訳の感想:図にあるpublicは、発行された総数からFRBの持分を引いたもの。
FRBはオペレーションの際、短期国債を購入してきたため、歴史的にtotalよりもpublicの方が平均残存期間が長い。2008年のQE2で、FRBが長期国債を大量に購入したことにより平均残存期間は短縮し、totalとpulicは逆転したが、財務省の長期国債を発行する速度の方が速くなったため、平均残存期間は長くなってしてしまっている。

Shadow of the Torturers/May 7, 2011, 8:10 am

Shadow of the Torturers 拷問者の影

After reading John Yoo’s attack on the president for not taking Osama alive and bringing him to Gitmo, I thought I might take a minute to explain something I sometimes say. Once in a while I mention, in passing, that the Bush administration saw torturing people as a plus, not a cost. And whenever I do, some readers clutch their breasts and reach for the smelling salts: how dare I say such a thing?
オサマ(ビンラディン)を生きたまま捕らえて、グアンタナモ送りにできなかったことで、John Yooが大統領を攻撃している記事を読んだ後、時々、私が言っている事について、少し説明しておこうと考えた。私は、話のついでに、ブッシュ政権が人々を苦しめる事をコストではなく、プラスと見なしていたとたまに言うことがある。そうした時にはいつでも、読者の中に、胸をつかんで気付け薬を探す人がでてくる。なんだって、あなたはそんな事が言えるのかと。

But it’s true — not because they’re sadists, but because it suited their self-image.
だけどそれは真実なんだ―彼らがサディストだからではなく、それが彼らの自己イメージに合ってるから。

From day one of the War on Terror (TM), it was clear that the Bush people reveled in the notion that they were tough guys, willing to Do What Needs to be Done. They were all wannabe Kiefer Sutherlands. Far from showing qualms about suspending the rule of law and using torture to extract information, they obviously enjoyed the idea that they were willing to go all the way, unlike those wimpy liberals.
「テロとの戦い」(TM)の最初の日から、ブッシュな人たちは、「やらなきゃいけないこと」をすすんで行うタフな男だという観念に安住してきた。彼らは皆キーファー・サザーランドになりたがっていた。法の支配を中止し、情報を引き出すためには拷問を使うことにも良心の呵責を示すどころか、軟弱なリベラルとは違い、とことんまでやっていると考えることを明らかに楽しんでいた。

Of course, they never admitted that, probably not even to themselves. But did you ever see the slightest hint of reluctance or discomfort? Or did you see tremendous self-satisfaction as the acts became ever more abusive?
もちろん彼らはそれを認めなかった、もしかすると自分自身に対してでさえ、それを認めないのかもしれない。だけどあなたは、彼らが少しでも嫌々であったり、苦しんでいたりするような素振りをするのを見たことがあるだろうか? あるいは、その行動がより虐待的になっている時ですら、すさまじい自己満足に浸っているのを見てないの?

And so they are, inevitably, deeply upset that someone who isn’t a tough guy by their standards seems to be doing a better job of getting the terrorists than they did.
だから、彼らの基準に照らしてタフじゃない人が、彼らよりもテロリストを捕まえるのにいい仕事をしているように思えるような時に、彼らが酷く動転しているのは必然的なことだろう。

The Euro Living Dangerously/June 1, 2011, 7:31 am

The Euro Living Dangerously ヨーロッパは危険に生きている

A very important column from Martin Wolf. One way to summarize his argument is to say that slow-motion bank runs are already in progress in the European periphery, and that these countries’ banking systems are being sustained only by a process in which, say, Ireland’s central bank borrows from the Bundesbank and then lends the funds on to Irish private banks to replace the fleeing deposits. Here are claims among central banks as of the end of last year:
マーティン・ウルフがとても重要なコラムを書いている。彼の議論を要約する一つの方法を示すと、スローモーションの取り付け騒ぎがヨーロッパの周縁諸国ですでに進行中であり、それらの国の銀行システムは、例えば、ブンデスバンクからアイルランド中央銀行が借り入れをして、その資金をアイルランドの民間銀行に貸し出して、それで流出する預金を埋めるというプロセスによってのみ維持できているという事だ。これが、去年末の時点での中央銀行間の債権:

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You can see why we’re now at the panic stage. The Bundesbank is already very upset about its large claims on troubled debtors, which are backed by sovereign debt as collateral. Yet if financing stops in the wake of a debt restructuring, the result will be to collapse the debtor nations’ banking systems, a process Martin believes would lead to their ejection from the euro. (He makes me look like an optimist!)
なぜ今、我々がパニックの段階にいると言えるか分かるだろう。ブンデスバンクはすでに困難に陥った債務国に対する巨額の債権にろうばいしている。その債権は担保としてソブリン債で裏打ちされている。もし、その資金繰りが債務再編の影響でストップすれば、結果は債務国の銀行システムの崩壊という事になるだろう。マーティンはその過程で、その国々がEUから追放される事になると信じている。(彼と比べると、私が楽観主義者のように見える!)

So the ECB keeps saying that restructuring is unthinkable. Yet austerity programs are not working; the prospect of a return to normal financing is receding rather than approaching.
だからECBは債務再編はありえないと言い続けている。もう厳格主義のプログラムは機能していない。正常なファイナンスに戻る見通しは、近づくよりも後退している。

If you ask me, the water level has now dropped so far that the fuel rods are exposed. We really are in meltdown territory.
私に言わせれば、今、水位が下がりすぎて燃料棒が露出してしまっている。我々はまさにメルトダウンの領域にいる。

Inflation and Debt (Wonkish)/May 28, 2011, 10:44 am

Inflation and Debt (Wonkish) インフレと借金(オタク風)

As I mentioned in an earlier post, the latest OECD Economic Outlook is a remarkable document — and I mean that in the worst way. I’ve already pointed to the report’s insistence that we must raise interest rates, because foofa grrzt bumble shazam — OK, that’s not quite what the report says, but it makes at least as much sense as the justification the report does offer.
私が少し前の投稿で述べたように、最近のOECD Economic Outlookは注目に値する文書である―これは悪い意味で言っている。その報告書が、アメリカに利子率を上げることを求めているのはすでに指摘したとおりだ。その理由は、foofa grrzt bumble shazam―OK、それは全く報告書に書いてあることじゃない。でもそれは少なくとも、報告書が提示しようとする正当化のための説明とほとんど同じ意味だ。

More broadly, what the report does is to encapsulate in a particularly pure form the can’t-do spirit that has gripped much of the world’s policy elite (and which I’ve heard a lot of over the past two days). In his remarks presenting the report, the OECD’s head admits that high unemployment is a terrible problem, which risks inflicting permanent damage; but he goes on to say that
もっと広く言えば、その報告書は、世界のたくさんのエリートをとりこにしている(そして過去二十年以上に渡り何度となく聞かされてきた)「できない精神」を純粋な形で、カプセル化したものだ。その報告書を代表するような所見の中で、OECDのトップは高失業率が永続的な損害につながるリスクがある、すさまじい問題であることを認めている。だが彼は続いて次のように語る:

The room for macroeconomic policies to address these complex challenges is largely exhausted; therefore, we have to “go structural”.


これらの複雑な問題に対処するに当たって、マクロ経済政策に残された余地はほとんど残されていない。それゆえ、我々は「構造問題に向かう」必要がある。


How do we know that the room for macroeconomic policies is exhausted? Why should we “go structural” if the problems are mostly not structural (and unemployment definitely isn’t structural to any large extent)?
マクロ経済政策に残された余地がないと、どうやって分かるのか? その問題がほとんど構造的でないなら(そして失業率は確実に少しも構造的ではない)、どうして我々は「構造問題に向かう」必要があるのか?

Well, it’s just that can’t-do spirit.
うん、それがまさに「できない精神」だ。

I’ve been focusing today on one special exemplar of that spirit in action. Chapter 1 (pdf) of the report has a box dismissing the possibility that a higher inflation target, which has been advocated among others by Olivier Blanchard and even Greg Mankiw, could do any good. The report does some arithmetic on the likely reduction in public debt burdens, finding that
今日、その精神が活動中であることを示す一つの模範的な例に焦点を当てよう。その報告書の第1章に載っているボックスの中で、オリヴィエ・ブランシャールからグレッグ・マンキューまでの様々な人によって提唱されている、高めのインフレターゲットがなんらかの良い結果をもたらす可能性が否定されている。その報告書は、それが公共の債務負担を減らすことがありうるかいくつか計算をして、見出したのは次のような事だ。

a sustained increase in inflation by 2 percentage points would be required over a 10-year period to erode the average crisis-induced increase in the debt ratio in the OECD area


OECDエリアの債務比率が、平均的に危機誘発的な程度にまで増加するのを防ぐためには、2%ポイント増加した持続的なインフレが、十年以上の期間にわたり必要になる。


which the OECD takes as evidence that inflation can’t be a useful response.
OECDはこの事をインフレが有用な答えにならない証拠として受け取っている。

So, what’s wrong with this? I see at least three things wrong.
この事に何か間違っている事があるのか? 私は少なくとも3つの点で間違っていると見ている。

First, the report writes as if a period of 4 percent inflation rather than 2 percent inflation would be a terrible thing, highly disruptive to the economy.
Um:
最初に、この報告書は、まるで4%のインフレが、2%のインフレに比べて、恐ろしいものであり、経済にとって非常に破壊的であるかのように書いている。
ええと:


052811krugman1-blog480.jpg

Yes, it would be really horrible if we had inflation at the same rate as prevailed during Morning in America.
うん、もしそのインフレが「アメリカの夜明け」の時代に一般的であったのと同じくらいの率なら、本当に酷い事になるだろうね。

Second — and this is technical but important — the OECD assumes that higher inflation would be reflected one-for-one in higher interest rates. This is a good assumption in normal times — but the whole reason we’re in such a mess is the fact that short-term rates are up against the zero lower bound, that is, that we’re in a liquidity trap. This means that short-term rates would not rise at all for some length of time if we had higher inflation, and that long rates, which reflect expected short rates, should rise less than one for one. In fact, that’s one of the main arguments for higher inflation when you’re facing a zero lower bound: it would reduce real interest rates. So the benefits for the public debt burden would be larger than the estimates suggest.
2つ目に―これは専門的になるが重要なこと―OECDは高いインフレが、高い利子率と一対一で対応すると仮定している。これは平常時にはいい仮定である―だが我々がこんなに困った状況にいる全ての理由は、短期金利がゼロ下限に直面している、すなわち我々が流動性の罠の中にいるという事実からである。このことは、インフレ率がもっと高くなっても、しばらくの間は、短期金利が上がらないということを意味している。そして、予想された短期金利を反映したものである、長期金利の上昇率は、一対一で対応するものより低くなる。実際、それはゼロ下限の金利に直面している時に、より高いインフレを支持するための主要な論点の一つである。つまりそれは実質利子率を引き下げる。だから、公共の債務負担に与える利益は、OECDの推定より大きいものになるだろう。

Third, public debt is not our only problem — in fact, it’s not the core problem. The key problem is, instead, the overhang of private debt:
3つ目に、公共の債務は我々が抱える唯一の問題ではない―事実の問題として、それは主要な問題ではない。それよりも重要な問題は民間債務の過剰である:

052811krugman2-blog480.jpg
Household debt as % of personal disposable income
家計の債務の個人可処分所得に対するパーセンテージ

And a period of modestly higher inflation would help reduce that private debt overhang, which would help promote economic recovery, which would in turn raise revenues and help the fiscal situation.
そして一定期間の適度に高めのインフレは、民間債務の過剰を減らすためにも役立つだろうし、その事は景気回復を促進することにもつながり、それが今度はさらに歳入を増やし、財政状況を手助けする。

In sum, the case for higher inflation is vastly better than the OECD is willing to acknowledge. Again, it’s that can’t-do spirit.
要約すれば、高めのインフレを支持する論拠は、OECDが喜んで認めるものよりずっと優れたものである。繰り返すが、それは「できない精神」だ。

Learned helplessness can be a terrible thing.
学習性無力感は、酷いものになることがある。


翻訳の感想:that can’t-do spiritは、そのままの方がいいかも。日銀にも使えそう。

Portugal? O Nao!/January 10, 2011, 12:52 pm

Portugal? O Nao! ポルトガル? Oh No!

It’s looking as if Portugal is the next eurodomino. I was hoping not — mainly, of course, for the sake of the Portuguese (I did my first ever policy work there back in 1976, and have always had fond memories), but also selfishly, because it’s by far the blurriest of the troubled peripheral countries.
ポルトガルがまるで次のユーロドミノの駒であるように見られている。私はそうならないことを願っている―もちろん主な理由はポルトガル人のためだ(1976年に、そこで私は初めて政策決定に関する仕事をして、楽しい思い出がいろいろある)。だが個人的な興味としては、それが困難に陥った周縁諸国のもっとも不明瞭な部分だからだ。

What I mean by that is that the Portuguese macro story is harder to tell than those of Greece, Spain, and Ireland. Greece was excessive government borrowing; Ireland and Spain, housing bubbles. Portugal, by contrast, wasn’t all that bad fiscally — debt/GDP on the eve of the crisis roughly comparable to Germany. But it also didn’t have surging house prices. There was a lot of private-sector borrowing, but it’s not that easy to explain exactly why.
それがどういう意味かと言うと、ポルトガルのマクロの話は、ギリシアやスペインそしてアイルランドよりもっと理解しがたい問題だということだ。ギリシアには過剰な政府の借金という問題がある。アイルランドやスペインには住宅バブルがあった。対照的に、ポルトガルは財政的にはまったく悪くない―危機に陥る前夜の債務/GDP比率はほぼドイツとひけをとらなかった。また住宅価格の暴騰もなかった。民間部門はかなりの債務を抱えていたものの、それが正確な理由になると考えるのは容易ではない。

What’s clear, however, is that at this point Portugal faces adjustment problems similar to those of Spain, and possibly worse. Prices and labor costs are out of line with the rest of the eurozone; getting them back in line will require painful internal devaluation, aka deflation; and given the high levels of private debt, deflation will have nasty side effects. Tolstoy was wrong: many unhappy countries, at least in Europe right now, are pretty much alike.
だが明らかなことは、今まさにポルトガルはスペインのそれに似ているが、より悪質かもしれない調整問題に直面していると言うことである。物価と労働コストがユーロ圏の残りの国と外れてしまっている。それを元に戻すためには苦しい国内的切り下げ、別名デフレが必要となる。民間での債務がかなり高いレベルに達していることを考えると、デフレは厄介な副作用を持つだろう。トルストイは間違っていた。少なくともヨーロッパでは今、多くの不幸せな国家は非常によく似ている。


翻訳の感想:Tolstoy was wrongは、「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」という言葉に当てたもの。
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